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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.177/2012/10

「ビルマ(ミャンマー)の「ロヒンジャ問題」を手がかりにして(2)」


バングラデシュ南部は毎年、水害に見舞われる バングラデシュ南部は毎年、水害に見舞われる。水と共存が南ベンガル人の課題でもある。船を待つバングラデシュの人びと。


 ロヒンジャ問題を考える際のポイントは、[ ]で括った部分である。
 人口増加が激しいバングラデシュは、イスラーム教が人口の90%以上を占め、アイデンティティとしてはバングラデシュ国民というよりもムスリム(イスラーム教徒)としての意識が強い。
 私が現地で感じた個人的な印象だが、地元の人の感覚は、ムスリム>ベンガル人>バングラデシュ人(国民として)というものであった。
 バングラデシュがインドから分かれたのは1947年。ビルマとの国境はその後、両国を隔てるナフ川を境にして1966年に確定した。その際、バングラデシュ東部のチッタゴン(丘陵)は、バングラデシュに組み入れられている。国境線が確定するまでは、その辺りに住む人びとはバングラデシュとビルマを隔てるナフ川を、小舟で使って自由に往来していた。
 ビルマの首都は、2005年末にネピドーに移されるまで、ヤンゴン(ラングーン)であった(ヤンゴンという都市自体、イギリスの植民地時代に発展した町である)。ヤンゴンとは、ビルマ語で「戦争の終わり(end of war, battle)」を意味する。同じように、バングラデシュ側のチッタゴンは、ラカイン語で「戦場、戦争の始まりの場(fort of war)」を表す地名である。
 また、バングラデシュはかつて、チッタゴン丘陵から首都ダッカ(パハルプールの仏教寺院遺跡群)まで、広く仏教が栄えた土地であった。特にビルマ側に近いところでは、仏教徒の「アラカン王朝」が勢力をふるっていたと推測される。
 私がバングラデシュに入ってまず頭の切り替えが必要だったのは、そこはもともと仏教が盛んな土地だったということである。

(続く)

ビルマ、バングラデシュ周辺