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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.175/2012/8

「続『ビルマ(ミャンマー)』から『沖縄』へ」


「魂魄の塔」の前には手を合わせる人びと

沖縄の慰霊の日、「魂魄の塔」の前には手を合わせる人びとがひっきりなしに訪れる。


 カメラを構えたまま、時が過ぎるのを待った。
やがて何かがおかしいと気づいた。思わず自分の腕時計に目をやった。時間に狂いはない。撮影に出る際、GPS(全地球測位システム)を使って正確に秒数まで合わせてあるからだ。
長針がメモリを、一つ分を刻んでいた。正午は過ぎていた。
 だが、何も起こらない。
 何かの間違いだろうか。
 もう数分待ってみよう。
 だが、期待どおりにコトは運ばなかった。お決まりの、正午に合わせた黙祷のサイレンや鐘の音は、「魂魄の塔」では鳴らなかった。時報とともに、塔に向かって頭を垂れる人びと、手を合わす遺族たち・・・、そんなありきたりの写真を撮ろうとしていたのに。見事に期待を裏切られた。
 取材先での、自分の予断と偏見が顕わになった瞬間でもある。「魂魄の塔」の周辺には、取材者によって作られるニュース現場は存在しなかった。
 その夜、ホテルの部屋でテレビニュースにチャンネルを合わせてみた。そこではもちろん、その日の「沖縄の慰霊の日」がトップニュースであった。野田首相が出席した「平和祈念公園」での慰霊の集い、或いは高校野球の夏の予選が行われている球場では、やはりお決まりである正午の黙祷の場面がニュースとして流れていた。
 もちろん遺族にとっては、セレモニー化した行事と、そうでないささやかな集まりとでは、鎮魂の本質に違いはないかもしれない(いや、あるかも?)。そこで、直接的に被害者や加害者ではない第三者である私が、しかも取材者という立場で、この慰霊祭にどういう意味を見出せばよいのだろうか。ふと考えさせられた。