Vol.162/2011/7
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6月11日、日本全国で原発に反対するデモや集会が開かれた。参加者の総数は、目標の人数には大きくかけ離れていたが、それでも各地で街頭に立つ人びとがあった。公式の記録には出ないが、京都・嵐山の橋の袂でもビラが配られた。 |
小出裕章という人との名前を知ったのは、確か今年の初め1月頃であった。いわゆる、原子力問題について、研究者の立場から主に原子力の危険性を指摘していた。
だが、小出氏の名前を強く記憶していたのには特別な理由がある。小出氏は、実際、原子力の専門家として、その危険性についてだけ語っているのではなかったからだ。そのメインストリームから外された研究生活から、社会の仕組みについても言及し続けている。最も強く印象に残ったのは、次の言葉である。
原子力は差別の上にしか成り立たない
その後、「3・11」が起こった。
今となっては、既にいろいろなところで出ているから明らかだが、福島第一原発事故が起こる前から、小出氏はずっと原発事故の可能性を絶えず警告していた。
あれから4ヵ月が経った。その「3・11」の震災後、地震や津波の被災からは、少しずつではあるが復旧・復興への動きが進んでいるようにも見受けられる。だが、同じ震災でも、原発事故では、その原因や被害の広がりもまだまだ不確定な要素が多すぎるため、復旧というより事故対処の段階で止まっているとしか思えない。
「福島第一原子力発電所から20〜30キロ圏の緊急時避難準備区域にある福島県南相馬市の農家が出荷した肉用牛11頭から暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出された(『毎日新聞』7月9日)」
「千葉県柏市は10日、市内の清掃工場で発生した焼却灰から、1キログラム当たり7万ベクレルを超える放射性セシウムを検出したことを明らかにした。・・・・・・、焼却灰の埋め立てを6月末から中止している。現状では、約2カ月で灰の保管スペースがなくなり、一般家庭などからの可燃ごみの受け入れが不可能になると予想される(『読売新聞』7月11日)」
原子力は、資源エネルギーだけのレベルで考える問題ではない。まさに小出氏が指摘してきたこと ─ 原発は社会構造の縮図ということが徐々に明らかになってきている。
また、その後、インターネット上を見ると、一部には、「小出現象」なるものも出てきたようだ。原子力の専門家の小出氏と一般の人との関わりを論じるものさえ出てくるようになってきた。
小出氏の主張ははっきりしている(以下、ウエブから抜粋)
「私は1970年に原子力はダメだと思って、なんとか止めさせようと思った人間です。すでに40年経ちました。いつかこんな事故が起きると私は警告してきたわけですが、とうとう起きてしまったのですね。なんとか起きないように、起きる前に原子力を止めたいと願い続けてきたわけですけれども、私の願いは届かなかったのですね。何とも言葉がない。今は言葉がありません。」
「日本で原子力発電所がまだ実際に動いているのですよね。なぜ動いているかというと、夏になって停電したらやだからだと、電気は絶対必要だと、いうような人がどうも日本人には多いと、いうことらしいんですね。そのことに関して私は、データをつけて既に発言をしていますが、今現在、即刻原子力発電所を全部止めたとしても、日本の電力供給に何の支障もありません。ですから止めるのはいいと、私は思います。」
「でも私は、そのことも実はどうでもいいんです。電気が足りようが、足りなかろうが原子力なんてなものはやってはいけないという、という風に私は思っているんです。そういう風に日本人の人たちが思えないということに私は今、かなりの絶望感をもって、現実に向き合っています。そういう状態です。」