Vol.160/2011/5
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先月号(連載シリーズ133)では、その前号の時計台の話(連載シリーズ132)に続き、担ぐ(かつぐ)という行為を考えてみた。
「男は肩で担ぎ、女は頭上運搬をしている。それはビルマだけに限ったことではなく、遠く中米エルサルバドルで撮影した写真でも同じであった」
そうは書いたものの、実は先月、3週間ほどタイに取材に出ており、手元にエルサルバドルで撮影した写真がなかった。
日本に帰国後、改めて写真を確認してみた。
やっぱり記憶通りであった。少々古くなるが、これは1994年、中米の小国エルサルバドルの田舎の山道で撮影した写真(上2枚)である。
夕暮れが近づき、家路を急ぐ村人たちが薪の材料を運んでいる。エルサルバドルといえども、都会での生活は変化が激しい。その一方で、地方都市や田舎では人びとの生活様式はあまり変わらないところもある。
この写真を見ていて思い出した。本誌2009年3月号で、実は「見る」という解釈で同じようなことを書いていた。あれから2年、取材をすることや発表することの意味合いをより深く考えるようになっていた。
これは2007年、ビルマ(ミャンマー)の「辺境」の(実に山の中を2週間ほど歩いて到達した)村で撮影した写真である。 |