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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol..146/2010/3

「差別の構造」


 また、「アラカン」とは、旧アラカン王国の名残りから派生した。その王国はかつて、ナフ河をまたいで、西ビルマのラカイン州からバングラデシュのチッタゴン丘陵まで広がっていた。アラカン王国は、その多数がラカイン人で成り立っており、その他ムロ、ダイナ、テッ、カマンなどの少数派民族が含まれていた。そのアラカン王国は18世紀末、ビルマ王国によって征服される。その後、ビルマ王国は英国植民地として英領インドに含まれる。ビルマやバングラデシュの過去を振り返ると、征服の歴史が入り乱れており、なかなか理解しづらい。

一般的にロヒンギャーの問題とは、過去2度(1978年と1991年)起こった、20万〜30万にも及ぶロヒンギャーのバングラデシュ側への難民の流出である。その後、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)や国際社会の働きかけによって、難民のほとんどはビルマ側に戻った。 ところで、現在のロヒンギャーの問題とは次の(1)と(2)にまとめられるだろう。
 (1)かつてほど大規模ではないが、未だにビルマからバングラデシュに難民が流出している。それは、ビルマ軍事政権(タンシュエ上級大将)が過去十数年にわたって、ロヒンギャーの市民権(国籍)を取りあげ、強制労働・財産没収・強かん・移動制限による教育や商業活動の妨害などを続けているからだ。
(2)バングラデシュに渡ったロヒンギャーは難民キャンプで避難生活を始めるが、それは到底人の暮らしとしては満足できるものではなく、国際的な支援も不十分なままである。さらに地元バングラデシュ人によるロヒンギャーへの迫害も続く。