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パースエクスプレスVol.215 2015年12月号

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社 会
 

車椅子バスケット
近畿選抜チームがパース遠征

車椅子バスケット近畿選抜チームが選手育成の一環として、パースに本拠地を置くオーストラリア車椅子バスケットボールチーム、パース・ウィルキャッツと強化試合を行なった。


今回の遠征は、元日本代表でパース・ウィルキャッツでもプレーしていた岩野博氏の凱旋と、現在、日本代表で岩野氏がコーチを務める女子車椅子バスケットチーム「カクテル」の所属選手でもある網本麻里選手が代表としてクラウド・ファンディングで寄付を募り、それを資金として実現した。選手11名(女子3名、男子8名)とスタッフ・家族8名の計19名が12月7日深夜にパース入りし、その日から帰国当日の10日まで、パース・ウィルキャッツと練習や試合を行った。中日の9日に岩野氏と網本選手にお話を伺った。

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——久々のパースはどんな印象ですか?
懐かしいですが、8年ぶりなので記憶が飛んでいて、あまり思い出せませんでした。6シーズンも過ごした地だったのですが、ね(笑)。

——今回の遠征の目的は?
今回は、2020年の東京パラリンピックを目指すことのできる、次の世代の若手選手達を連れてきました。この遠征で良い経験を積ませたいです。2020年に日の丸を背負う選手になってくれればと思っています。

——日本における車椅子バスケットについて。
 女子の車椅子バスケットは、来年2016年のリオ五輪出場を逃してしました。日本における今の環境のままでは、世界との差をこれ以上縮めるのは難しいと思います。むしろ差は開いているくらいです。ハード面では車椅子バスケットに没頭できる環境を作り、プロフェッショナルなメンタル面への育成も必要ですが、なかなか難しいのが現状です。私は引き続き、自分の経験を活かして少しでもその手伝いができればと考えています。
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豪州代表でパース・ウィルキャッツの中心選手のShaun Norris選手とパースでの久しぶりの再会を果たす岩野氏。

岩野博氏

車椅子バスケットボールの日本代表として3大会連続でパラリンピックに出場し、日本人プレーヤーとして外国人枠でパース・ウィルキャッツにて6シーズンプレーした。2008年に現役を引退し、今は女子車椅子バスケットチームの「カクテル」でコーチを務め、また近畿選抜のヘッドコーチで後身の指導にあたる。パース・ウィルキャッツ在籍中は本誌にて連載を掲載していた(vol.115から3回連載)。

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——オーストラリアの印象をお聞かせ下さい。
 2004年に遠征でオーストラリアに来て以来、オーストラリアの車椅子バスケットチームにも5シーズンに渡って参加していたので、パースも今回が初めてではなかったんです。個人的にはオーストラリアは好きです!

——遠征費の一部をクラウド・ファンディングで調達されたとのことですが、何かご苦労はございましたか?
 お金を出してくださった方々には善意で寄付して頂きましたが、感謝の気持ちから何かお返しをしなければという想いでいっぱいになりました。いくつかお返しのあるオプションも用意したのですが、見返りはいらないという形での寄付ばかりで、本当にありがたく思いました。そのお陰で、私にとってもそしてチームの仲間たちにとっても、とても良い遠征になっていると思います。

——(12月9日の試合後に)パース・ウィルキャッツとの試合の感想をお聞かせ下さい。
 私自身、世界のトッププレイヤー達との試合経験はありますが、他のメンバーは今回が初めてなので、レベルの違いを目で見て、肌で感じられたのは本当に良い経験でした。単純なスキルの差もありますが、ボールに対する執着心などの気持ちの面での差も日本でプレーしている時とは大きな違いがあったと思います。試合の結果よりも、メンバー全員がその経験を積めたことが大きな収穫でした。
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網本選手(左)とゴールを狙う豪州代表でパース・ウィルキャッツの中心選手、Justin Eveson選手(右)。

網本 麻里選手

生まれつき右足首の障害を持ちながら、小学生でバスケットボールを始めるが、病状の悪化のため中学3年生でバスケットボールを断念。2004年、高校1年生の時に本格的に車椅子バスケットを始め、関西のクラブチーム「カクテル」に入る。翌年には16歳で日本代表に選出され、2008年の北京パラリンピックでは7試合133得点で大会得点王に輝き、チームも4位入賞に導いた。現在も世界屈指の女子車椅子バスケットプレーヤー。

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