オーストラリアに最初に日本の回転寿司スタイルを持ち込んだ「Jaws Kaiten Sushi」。持ち込んだ先はオーストラリア最大の都市、シドニーやメルボルンではなくパースでした。当時、回転寿司のスタイルはオーストラリアではセンセーショナルでしたが、ビジネスモデルがないオーストラリア、しかも第4の都市のパースで保健所に認可の承認を得るためには一年以上かかったそうです。その保健所に通い詰めたのが「Jaws Kaiten Sushi」の創業者、平山善将さん。1995年に1号店をオープンさせてから25年が経つ今、過去に類のないこのコロナ禍中でどのようにお店を経営し、そして再開までこぎつけたのか経緯をお聞きしました。
6月3日に営業再開する「Jaws Kaiten Sushi」のEast Perth店。パース市内にEast Perth店、Hay Street Mall店、Town Hall店の3店舗を展開する回転寿司店の老舗です。この度、East Perth店が3月23日から閉業していた店内飲食の営業を再開します。5月18日に西オーストラリア州ではコロナ禍中においての制限緩和が発表され、飲食業界にとっては大きな変化となる店内飲食(制限付き)が許可されました。6月6日から更に緩和措置がとられますが、その前の6月3日に「Jaws Kaiten Sushi」のEast Perth店が再開となります。
そこで、平山さんには新型コロナウイルスの感染者が出始めた3月から、また政府が実施した制限措置が施行された4月、そして感染者数が減り制限措置の緩和が徐々に取られた5月を振り返り、お話を伺いました。
インタビュー日:5月26日
<コロナ禍の中、複雑な思いをインタビューで応えてくれた平山さん>
【質問】3月23日からオーストラリア国内ではレストランの通常営業ができなくなり、テイクアウェイのみの営業となりましたが、貴店『Jaws Kaiten Sushi』はその時、どのような対応をされたのですか?
平山さん:「回転寿司のビジネスモデルとして、お客様が入店できない場合は営業してもビジネスとして成立しないので、テイクアウェイでの営業も当初は見合わせるつもりでした。ただ、弊店はパースで3店舗展開し、25年以上も長きに渡りご愛顧頂いてきたお客様にいきなり全店閉店というのも申し訳ないので、Hay Street Mall店とTown Hall店は3月23日から止む終えず閉店しましたが、残るEast Perth店のみ閉めることなくテイクアウェイの営業を続けてきました」
<『Jaws Kaiten Sushi』の1号店となるHay Street Mall店>
<シティ中心部に位置するHay Street Mall店。コロナ禍中での客足は全く見込めなかった>
【質問】ダインインの営業ができなくなった時の経営者としてのお気持ちは?
平山さん:「コロナ禍が収まるのを待つしかない、様子をみるしかない、それだけでしたね」
【質問】3月23日以前の話で、3月1日にオーストラリアの新型コロナウイルス最初の犠牲者はパースの人でしたね。3月に入ってからのお店の売上などはいかがだったのでしょうか?
平山さん:「あの頃、ちょうど買い占めが始まり、また14日間の自己隔離措置などが始まり出した時でしたので、私もちょうど日本に一時帰国する予定がありましたが、日本に行くことはできても帰ってこれないという予測もあり、フライトをキャンセルしました。私だけではなく、私の周りにはそういう人が多かったですね。お店への売上にはまだそこまで影響はなかったと記憶しています」
【質問】結局、貴店の場合は一店舗のみのテイクアウェイ営業を続けられていましたが、4月から今までのテイクアウェイ営業の売上はいかがでしたか?
平山さん:「一店舗のテイクアウェイの売上は、今までの全店舗の売上に対して本当に大したものではないですよ。正直、比率でいえばゼロにちかいです。ただ、JobKeeper Paymentなどの政府からの支援で、うちで働いてくれているシェフたちがなんとか食べていけるといった状況ですね」
<コロナ禍中は営業を中止。近々の再開に期待したいTown Hall店>
【質問】ご自身の生活スタイルの変化は?
平山さん:「政府の『3月30日から70才以上は自宅待機を要請』から、私も極力外に出ずに今に至ります。オフィスにも不要不急でなければ出てきていませんでした。オフィス自体も5月からリモートワークにしていました。個人的に自宅待機で感じたことは、何もしない辛さでしょうか。実際、私はお店に立つわけではないけど、オフィスに出社できなくなったというのは、生きがいを削がれた思いはしましたね。ただ、この先の世の中について今は、時間が経つのを待つしかないといった感じですね。日本のニュースも毎日観てましたし、パースやオーストラリアの規制緩和策についても具体的には見えてこなかったので、どうしようもないといった感じでしたね」
<生活スタイルを一変し、“まだまだ先が読めない世の中ですね”と平山さん>
【質問】5月18日に『4㎡に1人』といった規制で店内飲食の営業許可が下りましたが、貴店では踏み切らなかったその理由を教えて下さい。
平山さん:「3月23日以降閉業することになり、多くのフロアスタッフやキッチンハンドの方々には、一度お店を辞めて頂かなければいけなくなりました。うちのフロアスタッフやキッチンハンドは学生さんやワーキングホリデーの方が多く、今回のこの騒動で皆さん、8~9割の方が日本に帰国されました。なので、現状はフロアスタッフがほとんどいなくなってしまったのです。しかし、政府から再開許可が出ても、帰国してしまったスタッフを呼び戻すことは不可能なので、最少人数のスタッフで再開しなければならない。そうなると、サービスの低下につながるかもしれないことを考えると、そう簡単に再開はできないですね。準備が必要でしたね」
【質問】6月3日からまずは、一店舗のみの店内飲食を始められますね。そこに行きつく経緯を教えて下さい。
平山さん:「5月18日の規制緩和から気持ちは徐々に再開へと変わっていきました。ただ、3店舗一気に開けるというのは厳しいと判断しています。4㎡に1人とか、1.5mのソーシャルディスタンスを守りかつ従業員の確保となるとうちのビジネスモデルには相容れない部分がありますが、それでも徐々に再開をと考えています」
<East Perth店は6月3日より他の2店舗より先に再開を試みる>
<6月6日より『Phase 3』に制限緩和されるが、その前に店内飲食をスタートさせるEast Perth店>
【質問】これからの3店舗の動向はどう考えてらっしゃいますか?
平山さん:「先程(インタビュー日:5月26日の午後2時)もシティのメインストリートを歩いて見てきましたが、お店は2/3ほど開いているけど、どこの店もお客さんが入っていませんでした。時間帯も関係しているんでしょうけど、本当にガラガラでした。ただ、コロナ以前に“Jaws”を利用して頂いたお客様のためにも、まずはEast Perth店、次にTown Hall店、そして最後にHay Street Mall店を徐々に再開する予定です」
【質問】今回のコロナ禍で、今後の経営方針に対してどのような変化をもたらしましたか?
平山さん:「今回のこの件では、勉強させられました。今まで、学生さんやワーキングホリデーの方の多くが“Jaws”で働いてくれてました。その方たちがいないと“Jaws”は営業できませんでしたが、その方たちがいなくても営業しなければならない、そして残ったメンバーだけでも営業できる業務形態を考えなければいけない機会となりました。そう考えると、これからは少数精鋭主義での営業が必要になるんだろうと思いました。そして、日本も含め50年近く寿司屋や回転寿司店を経営してきましたが、少数人数だからこそ目が行き届く、日本人経営の回転寿司店“Jaws”として、ネタの鮮度は今までも拘り抜いてきましたが、改めて“酢飯=舎利”にも力を注いでいきたいと思います。また、手巻き寿司”もお寿司本来の美味しさを伝えられるものだと思っています。巻き寿司だけではなく、海苔の美味しさが分かってきた現地の人たちに、シェフが目の前で作ってくれた、海苔がパリッとした“手巻き寿司”を次は広めていけたらと思っています」
パースの老舗回転寿司店の創業者で、Jaws Restarant Group代表取締役社長の平山善将さんにお話を伺いました。
<6月3日に再開するEast Perth店のプロモーション動画>
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【Jaws Kaiten Sushi】 パース市の中心街に3店舗を構える老舗回転寿司店。パースのローカルには『寿司と言えば“Jaws”』で知られ、お寿司の鮮度とサービスは日本スタイル同様のものを提供し続けている。 【シティに展開する3店舗】 ◆今回、6月3日に営業再開する ◆今後、徐々に営業再開される2店舗 □Jaws – Town Hall ジョーズ回転寿司店のホームページはこちら(www.jawssushi.com.au)から。 |
【平山善将(ひらやまよしまさ)】
Jaws Restarant Group代表取締役社長
オーストラリアで最初に日本の回転寿司店を創業。その1号店となるHay Street Mall店は1995年に開店。渡豪前は東京で20年間、寿司屋と和食屋の2店舗を経営。現在は、パースのシティ中心部に回転寿司店を3店舗展開。