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日本発豪州行き 蹴球戯言
Vol.217/2016/02

第19回「オーストラリア代表と日本代表の世代」


 今回は早速、問題というより、お伺いです。

【Q】読者の皆さんにとって、サッカー・オーストラリア代表と日本代表の各世代で印象に残っている代表は、いつのころの代表でしょうか?

【A】サッカーをそこまで観戦されない方には、酷な筆問でしたが、筆者は2002年W杯予選に参加していたオーストラリア代表と、1994年のW杯予選に参加していた日本代表が、印象深いです。

 まず、オーストラリア代表です。2002年W杯予選当時のオーストラリア代表は、オセアニア地域予選を圧倒的な力で突破しましたが、レギュレーションの壁で本大会出場は叶いませんでした。南米の強豪ウルグアイ代表との激戦を1勝1敗得失点差で、敗退してしまったのです。しかし、筆者が感じていた当時のオーストラリア代表の印象は、活きの良い上り調子な選手達が多く存在し、まさに勢いを感じました。

 一方、「ドーハの悲劇」として記憶されている1994年W杯予選の日本代表は、初のW杯出場を意識させてくれた高揚感からか、筆者にとって初めて真面目に日本代表の行方を考えた世代でした。当時は、プロリーグ(Jリーグ)が開幕し、サッカー熱が急上昇し、世間の期待を一身に浴び、選手達にも自信がみなぎっていました。アジアの公式戦も勝てなかった時代を払拭するような強靭な精神力を持っていたと思われる世代でした。

 さて、サッカーの世界には様々な公式大会がありますが、年齢制限のある大会もあります。先にリオ・オリンピック出場のための予選が行われましたが、夏季オリンピックの男子サッカー競技は、競技規定における選手年齢の上限が23歳(オリンピック開催前年の12月31日に23歳未満)となっています。その23歳以下(U-23)の日本代表が、先日6大会連続出場を決めましたが、その代表は若年時代の実績から「谷間の世代」と呼ばれ、期待値はそれ程高くありませんでした。

 この「世代」とは、結果として集められた選手達のネームバリューが、どの程度かによってマスコミやサッカーファンから評価されてしまう一面があります。今回のこの代表は、そういった意味で選手達のネームバリューが低い世代でした。

 しかし、年齢でカテゴリー分けをされてしまう場合、運・不運が付きまといます。例えば、クラブチームでレギュラーを張り、ネームバリューも大きかったが、その年齢条件のためにオリンピック予選・本戦に参加できずに涙を飲んだ選手がいたはずです。その時にどんなに凄いプレーをし、期待をされていても代表の参加資格がないのです。サッカー選手の選手寿命を考えると、4年おきのオリンピックで次のチャンスに、その時と同じプレーができるかというと疑問符が付いてしまいます。

 また、A代表(フル代表)でも、その国の代表たる資格を有し、絶大なカリスマを備えた選手が、こちらも同じく4年に一度のW杯本大会に参加できなかったという不運な選手もいるでしょう。昨今ではW杯出場常連国の日本でも、生まれた時代が異なるゆえ出場が叶わなかった選手は、両国のみならず世界中にたくさん存在します。

 そういった意味では、筆者が印象に残っている両時代の代表は、4年に一度というタイミングも合い、中心選手や他選手達の力量もネームバリューも充分で、ぜひ本大会で見てみたかった世代の代表でした。

 今回、リオ・オリンピックに出場が叶わなかったU-23オーストラリア代表の選手達は落胆を抱えながら、今後A代表でW杯本大会出場を目指し、切磋琢磨していくことでしょう。そして、マスコミが「オリンピック出場が叶わなかった不運な世代」として選手を鼓舞することになるのかもしれません。

 現在のU-23の両国選手の力量やネームバリューには、大きな差は存在しません。では、なぜ本大会へ出場でき、できなかったのかと問われれば、「運」による差が存在したとしか筆者は思えません。

 「U-23日本代表へのオリンピック本大会での活躍を期待しています。U-23オーストラリア代表の選手達はお疲れ様でした。クラブとA代表でのリベンジを期待しています」