Vol.213/2015/10
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アジア最強のクラブチームを決する大会「アジアチャンピオンズリーグ(ACL)」は佳境を迎え、準決勝時点でのオーストラリアと日本の結果は…。オーストラリア勢はグループリーグで3チーム全て敗退してしまい、日本勢は2チームが準々決勝に進出しましたが、その内の1チームは準々決勝敗退、もう1チームは決勝進出をかけて不利な準決勝を強いられています(2015年10月5日時点)。
さて、近年のACLの結果をみてみると、飛び抜けた外国人選手の存在が際立っています。特に力を付けてきた中国勢の一部のクラブは、莫大な選手獲得費用と高年棒で現役代表クラスの選手を抱え込み、アジアサッカーの勢力図を塗り替えようとする野心を感じます。そこで、恒例の質問です。
【Q】オーストラリアのプロサッカーリーグ(Aリーグ)と日本のリーグ(Jリーグ)にてプレーしたサッカー大国からの出身選手で、インパクトを残した選手は?
【A】統計データのような数字で具体的に指し示すものはありませんが、筆者は『アレッサンドロ・デルピエロ選手』と『ドラガン・ストイコビッチ氏』だと思います。
Aリーグが、目立った補強策にて一流外国人選手を獲得し始めたのは、ごく最近といってもいいでしょう。そして、一番インパクトがあったのが、なんと言ってもイタリアの強豪ユベントスのオーナーであった故ジャンニ・アニエッリ氏が「ピントゥリッキオのようだ」と揶揄したファンタジスタ、元イタリア代表のアレッサンドロ・デルピエロ選手のシドニーFCへの移籍劇でした。1990年代、戦術至上主義だった当時のイタリアでは珍しい芸術家肌の選手であり、親日家としても知られるデルピエロ選手が、現役生活晩年には日本に来るのではという筆者の期待を裏切った移籍劇でした。
一方、Jリーグが外国人獲得市場を賑わせていたのは、特にリーグ開幕直前と直後でした。開幕時点では元ブラジル代表のジーコ氏、元西ドイツ代表のピエール・リトバルスキー氏、元アルゼンチン代表のラモン・ディアス氏など、輝かしい経歴の持ち主がJリーグのチームに移籍をしました。ただ、決して現役バリバリの選手ではありませんでした。そんな中、筆者に一番のインパクトを与えたのは、旧ユーゴスラビア代表で、まだ現役真っ只中であったドラガン・ストイコビッチ氏の名古屋グランパスへの移籍劇でした。
1990年のイタリアW杯で、準々決勝のアルゼンチン代表と旧ユーゴスラビア代表の試合の中、あのディエゴ・マラドーナ氏よりも凄みのあるプレーを披露したのはとても印象的でした。欧州のクラブでは、けがなどが原因で苦心し、そしてJリーグのピッチに立つことになりましたが、多くのサッカーファンを驚かせました。
さて、上述の2つのケースですが、共に移籍だけではなく、クラブでの活躍もありました。ゆえに、移籍劇も記憶に残るものとなっているのでしょう。
まず、デルピエロ選手の活躍は、日本のニュースにもなっていましたので、オーストラリア現地での報道は、それ以上だったでしょう。そして、ストイコビッチ氏は現役生活の最後を日本で迎え、名古屋グランパスの監督としてクラブを初のリーグ優勝に導き、最早レジェンドと化しています。
ちなみに、それ以外にはというと、Aリーグではトリニダード・トバゴ代表だったドワイト・ヨーク氏、そしてパースグローリーにも移籍した元イングランド代表のロビー・ファウラー氏などが在籍していました。また、Jリーグではスウェーデン代表のフレドリク・リュングベリ氏やウルグアイ代表のディエゴ・フォルラン選手などが在籍しました。
さて、両国のみならずアジア圏でのリーグにて、一流のネームバリューをもった選手の獲得劇の裏には、クラブに勝利をもたらしてくれることの他に、“興行”を成り立たせるためのカンフル剤であることも多々です。しかし、一時的な話題作りにはなるものの、費用対効果が望めたケースは稀で、高い獲得費用を無駄にしていたケースの方が多いのではいかとと考えます。近年のAリーグは、選手達にとって移籍先の有力な候補となりつつも、クラブ側はあくまでも身の丈にあった獲得に終始している印象で、莫大な移籍金や年俸で現役バリバリのスター選手獲得を連続することはしていないようです。また、Jリーグも同様にライセンスの関係で、債務超過状態を続けることができずに莫大な人件費を計上することが難しいのが現状です。
しかし、躍動するスーパースターを観てみたいという妄想を筆者のみならず、読者の皆さんも持っていることでしょう。現実的にAリーグやJリーグのチームで、成績面でサッカーシーンにインパクトを残せるクラブは限られており、世間の注目を集めるには絶大なネームバリューを持った選手の獲得であることは、今後も変わらないでしょう。