Vol.209/2015/06
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今回は、オーストラリアと日本のサッカーに関するマスコミついてお伝えしたいと思います。そこで、問題です。
【Q】 サッカーだけに関わらず、マスコミが利用するメディア(媒体)を挙げてみてください。
【A】答えは、文字、音声、画像、映像といった類のものになるでしょう。これらの媒体を介して、マスコミは私たちに情報を伝達しています。ただ、その媒体の活用方法が近年、大きく変化しています。その変化とは、文字や画像を使った“紙”から文字や画像以外にも音声や映像を使える“電子”へとなってきています。そこで、「紙=紙面」や「電子=インターネット」を使ったマスコミのあり方について言及してみます。
まず、誌(紙)面で情報を伝達する本誌は、俊敏性ではインターネット(ネット)には、到底敵いません。現在、日本だけではなく、世界は「出版不況」と言われて久しい状況です。筆者が、かつて夢中になって見ていたサッカー雑誌もそんな煽りを受け、発行部数が激減し、休刊に追い込まれたものもあります。昨今の情報化社会において、知りたい情報はネットなどを通じて瞬時に知ることができます。例えば、日本から遠く離れたオーストラリアのサッカーAリーグの結果も、ネットがあれば即時に知ることができます。
しかし、筆者が一昔前のサッカー雑誌から受けたインスピレーションをネットから受けることは正直、難しいと考えます。ネット上には試合終了後、結果と共にダイジェスト動画が即座に公開され、考える間もなく機械的に情報が入ってきます。その情報を処理する間もなく、次から次へと情報が入ってきます。飽和状態です。人間、あまりにも飽和している対象に対しては、得てして興味を失いがちになります。ネット上の即効性のある情報のみでは、サッカーに興味のない人に興味を持たせることは不可能と言わざるを得ないのです。
一方、傾向として紙面は特化した情報を提供する場になってきています。今後もこの傾向は強まっていき、ネットとの「住み分け」がなされるでしょう。最近の日本のサッカー雑誌は、その「住み分け」が進んできています。その昔、サッカー雑誌は世界中の試合結果や選手紹介、移籍情報といった内容も掲載されていましたが、試合結果はネットで、主観を交えたコラムや戦術的なこと、試合の分析などは紙面で、といった「住み分け」がされてきていると思います。
ただ、ネットで発信される情報は、機械的な伝達で、心を打つものは少ないと思っています。パソコンや携帯電話の画面を通した情報は、一度目にしてしまえば余程のことがない限り2度と目にすることはありません。しかし、紙面の“読み物”は、心を打ち、コレクション欲を満たし、後々また読みたくなるような内容のものが掲載できると思います。
そこで、ジャーナリズムにおいて重要なのは「客観性と正確さ」であることは承知の上で、あえて申します。
「主観?!自論?!大いに結構!」
みなさん、いかがでしょうか?
正確な情報に基づいた内容であれば、多少の好き嫌いを前提とした人間味溢れる情報提供はあっていいと思いますし、それができるのが紙面だと思います。当然、好き嫌いはでますが、強烈な個性を発揮できるはずです。今のネット優勢のマスコミ業界にも一石を投じられるのではないでしょうか。もちろん、紙面は紙面の、ネットはネットの優位性を双方が損なわず、共存していくべきなのは、大前提で申し上げています。
筆者は、昔のサッカー雑誌をいまだに捨てられず、保存してあり、最近読み返す機会がめっきり増えています。試合結果は、ネット上の即効性の高いサイトでチェックしていますが、やはりサッカーの深い部分、戦術進化の歴史や背景にある文化的な側面を読み取るには、落ち着いて何度も読み返せる紙面となります。毎月、オーストラリアから遠い日本まで届く本誌も隅から隅までチェックして、パースの日常を垣間見られるのも紙面だからだと思います。
今回は、オーストラリアと日本のマスコミというより、両国共通のサッカーに関するマスコミのあり方についてお伝えしましたが、長い目で“紙”と“ネット”を共存させ、両国のサッカー普及や発展に貢献すべく役割を担っていけるマスコミであってほしいと考えます。