Vol.206/2015/03
|
オーストラリア代表がアジアカップを優勝し興奮覚めやらぬ中、シーズン終盤に差し掛かり、上位チームが混戦のAリーグ、そしていよいよ新シーズンが開幕したJリーグとサッカーの話題は尽きませんね。
さて早速、恒例の問題です。
【Q】2005年に華やかに開幕したAリーグですが、日本出身で、最初のAリーガーは「どこのクラブ」で「だれ」だったでしょうか?
【A】正解は、その開幕年に本誌のお膝元、パースに本拠地をもつ「パース・グローリー」に加入した「石田博行選手」でした。石田選手は、Aリーグ開幕メンバーとして名を連ね、主力選手として活躍しました。その後、日本人選手がAリーグに参戦する確かな礎を築いたことは間違いないです(石田選手については、本誌ウェブサイトの過去の連載「ネバーエバーストップ」を参考にして下さい)。
開幕当時、日本のサッカーファンからすれば、まだまだマイナーリーグの粋を脱していなかったAリーグでしたが、筆者も正直「オーストラリアでプロサッカーリーグが開幕」という情報は、後々耳にしたのが事実です。これはお互い様で、日本で1993年に開幕したJリーグの情報は、オーストラリアのサッカーファンの間では興味の対象にすらならなかったでしょう。そして、まだオセアニアサッカー連盟(OFC)とアジアサッカー連盟(AFC)に分かれて属していた豪日のクラブ同士の交流は少なく、日本出身の選手がオーストラリアにてプレーする際の印象は「Jリーグでプレー機会がもてない、もてなくなった選手が、クラブ間の交渉を経ずに、プレーする環境を求めてトライ アウト等を通して所属する」という印象は否めなかったと思います。
そんな中、日本が誇る“サッカーの伝道師”三浦知良選手(横浜FC所属)が、その開幕年にレンタルにてシドニーFCに所属しました。FIFAクラブ世界選手権対策として短期的な所属(ゲストプレーヤー)で、本当の意味でのクラブ間移籍ではありませんでしたが、三浦選手も日本出身のAリーガーとしてプレーしました。
近年のAリーグでは、マーキープレーヤー(サラリーキャップの制限を受けない特別契約選手)として、かつての欧州トップリーグでプレーした経験をもつ外国人選手を獲得する傾向が強まってきていますが、元日本代表で、欧州でも活躍した小野伸二選手(コンサドーレ札幌所属)が2012年にウエスタン・シドニー・ワンダラーズでプレーしたのは記憶に新しいと思います。また、パース・グローリーにも同年、セレッソ大阪から永井龍選手(セレッソ大阪所属)がレンタル加入しました。当時、若干21歳で各年代の日本代表を経験してきた永井選手もパース・グローリーの主軸選手として結果を残しました。
そして今年、アジアカップのためのAリーグ中断の際に、AFCチャンピオンズリーグのチャンピン・クラブ、ウエスタン・シドニー・ワンダラーズに川崎フロンターレから田中裕介選手が加入し、またサンフレッチェ広島の主力級選手だった高萩洋次郎選手が同チームに完全移籍し、背番号10番を背負い、早速両選手はすでに活躍しています。
現在、Aリーグはレギュラーシーズン真っ只中で、好調を維持しているパース・グローリーの終盤の戦績が気になるところです。また、本誌が発行された時には、J1&J2リーグの2015シーズンが開幕されていることでしょう(開幕戦3月7日と8日)。今シーズンからテコ入れ案として、リーグの2シーズン制が再開します。是非、Aリーグに負けないよう、“プロリーグの先輩”としての威厳を示してほしいものです。ただ、今後の展望として、Jリーグで主力選手であったり、年代別や日本代表の経験者であった選手が、移籍先としてAリーグのクラブを選択している昨今、現役代表選手などが所属先としてAリーグのクラブを移籍先の選択肢として考えるようになるのは、遠い先のことではないように思います。実際、それだけ成長過程にあるAリーグが、日本人選手にとって環境面、経済面ともに魅力的になってきた結果でもあるでしょう。Jリーグ唯一のオーストラリア人選手だった、オーストラリア代表のジョシュア・ケネディ選手(元名古屋グランパス所属)が、Aリーグのチームに移籍しました。このことも、移籍実績や成績面でも、かつては逆であった立場が逆転していることを示唆しているのかもしれません。このような双方の現状を踏まえ、日本出身のAリーガーは、今後もっと増えると筆者は予想しています。