Vol.166/2011/11
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自身の畑で、放射性物質検査のサンプルを採る(2011年9月)。 |
9月12日、茨城県ひたちなか市で干し芋農家を営む飛田勝治(53)さんは、地元の大学から専門家を招き、収穫を控えた自身の畑の放射性物質調査に臨んだ。生い茂るサツマイモの葉をかき分け、サンプルとなる蔓・芋・土をビニール袋に入れていく。
検査は、飛田さんが農家仲間と実行した。農家自身が検査し、結果を公表することがお客さんに対する責任と考えた。どんな結果でも、検査結果は販売所に張るつもりだと話す。
私が初めて飛田さんを訪ねた5月、県内では放射性物質が基準値を超え、出荷停止となる作物が相次いだ。目に見えない放射能はどこを汚しているのか。半年後の収穫に不安をもちながら、黙々と芋苗を植え付ける飛田さんは、「これじゃ土地を奪われたのと同じだよね」、そう漏らした。農業をやめなければならないと考えたこともあったという。「でも、農業をやめて何ができるんだろうか」、そう話しあったと、夫人の裕子さん(48)と振り返る。
「T・T34」というサツマイモがある。T・Tは「トビタ・タマユタカ」の頭文字。干し芋の原料芋である「玉豊」を、7年の歳月をかけ改良し作り上げた飛田さんオリジナルの芋だ。それは「農家としての大きなチャレンジ」でもあった。飛田さんは、最高の干し芋を作るため情熱をぶつけてきた。若いころは、それこそ休むことなく毎日仕事をしてきたという。農業の醍醐味について質問すると「収穫が一番っていう人は多いかもしれないけど、おれは全部が好きなんだよね」、そう穏やかに語る。
これまで、裕子さんと二人三脚で歩んできた。干し芋は、自宅の販売所でのみ扱われる。口コミで広がったお客さんが全国からやってくる。味は勿論のこと、お2人の明るい人柄と、妥協しない姿が多くの人を引き付けている。また、今年6月から裕子さんは、販売所で自作野菜の販売も始めた。原発事故以降、汚染を不安視する消費者の買い控えや、価格の急落に苦しむ知人の農家からも野菜を買い付け、一緒に売っている。「農家としてできることをやろう」、その思いと、裕子さんが以前に滞在した、ドイツで見た農家のイメージが夢としてあった。震災は、新たな一歩を踏み出すきっかけとなった。