「それぞれの故郷(ふるさと)」

ゴミ捨て場の、厳しい生活環境の写真ならいくらでも撮ることができる。実際、そういう写真も数多く写している。だが、ゴミ捨て場の現場で写真を撮りながら、なぜ自分はこのような写真を撮っているのか自問自答することがある。
 「一体、自分のこの行為にどういう意味があるのだ」と。
 あくまでも第三者的な報告者の立場で、彼らの状態をきちんと日本に伝えなければならならない − 職業的な意志がまず初めにある。だが、果たしてそれだけでいいのか。現場に立って、現実を目の当たりにすると、不完全燃焼を感じることが多々ある。
 写真を撮る上で、もうあと一歩、心理的に被写体に近づきたいと思うことがある。被写体の思いを感じるところをビジュアル面で表現したい、と強く感じることがある。では、自分の前にいる被写体の状況に一歩でも近づくには、どうすればいいのか。

 「取材の極意を教えてください」
 イスラエルとパレスチナ問題に取り組んでいる、平和学を専門とする大学の先生からの問いかけであった。

 「時間をかけて、そのうち切っても切れない当事者になるしかないでしょうか。」
 ゴミ捨て場で撮影をする私は、自分なりに考えてみた。その時得た答えの一つが次のようなものだった。
  「彼ら/彼女らの故郷を美しく撮ってみよう」

 いつの日か機会があれば、ゴミ捨て場を故郷とする人々に見せてあげたい。
 「ああ、私の故郷は美しかったんだ」
 実際そこに住む人々がそう感じる、そんな形の記録写真もあってもいいだろう。それが一つの答えだった。

 

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