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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.208/2015/05


「一本独鈷の大道芸人—ギリヤーク尼ヶ崎」
——記憶と記録の交叉(5)——



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 私がギリヤーク尼ヶ崎さんの芸(舞い)を初めて見たのは、今から25年前の1990年の春、楠木正成公を祀った神戸・湊川神社の境内だった。ちょうど写真の修行を始めた頃で、新聞の地域欄で偶然、彼の芸が神社で披露されると知り、写真の練習になるかなと足を運んだのだった。
 公の場で赤いふんどし姿で踊る、一見すると異様なその姿は、恰好の被写体であった。だが、ギリヤーク尼ヶ崎さんを写真に撮ったのは、先にも後にも、その時限りであった。
 その後、彼の大道芸は、1995年の「阪神・淡路大震災」で一変し、さらに時を経た「東日本大震災」の後、<「鬼の踊り」から「祈りの踊り」へと変化>(ウィキペディアより)したという。
 手品やジャグリングなど、路上でパフォーマンスをする大道芸人は、洋の東西を問わずたくさんいる。もちろん日本でも見られる。だが、ギリヤーク尼ヶ崎さんが「最後の大道芸人」と呼ばれる所以は、見せるための芸ではなく、話題作りでもない、生活のための芸であることを、身をもって示しているからだ。しかも50年近く続けている。
 1930年生まれのギリヤーク尼ヶ崎さんは、この8月で84歳になる。この間、西日本から東北を経て北海道を巡り、一貫して大道芸人として生きてきた。もっとも、大道芸人道を貫いているからといって、社会に背を向けて生きているわけではない。映画(伊丹十三監督の『マルサの女』『タンポポ』)やテレビにも出演している。だが、メインはあくまでも一本独鈷(いっぽんどっこ)、路上での大道芸である。大道芸で得られる、「おひねり」などをたつきとして生計を立てているのである。

 インターネットで検索してみると、YouTube でも彼の踊りを見ることができる。 
 https://www.youtube.com/watch?v=23-LtrLFuhU
 そんなことを思い出しながら、25年前に撮した彼のネガを探してみた。四半世紀前のイメージを振り返って見ると、先日見た光景とその立ち振る舞いに変化がない、そのことに驚いてしまった。
 ギリヤーク尼ヶ崎さんのその存在は、<職業とは生活の手段である。だがそれは同時に(それ以上に)人がおのれの望みをいかに生きるのかという試練の場なのである(竹中労)>という言葉を否が応でも思い起こさせるのである。