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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.200/2014/09


「抗いの彷徨(9)—中」



ゲリラ兵の使うお手製の地雷

ゲリラ兵の使うお手製の地雷。木片をくり抜き、火薬を詰める。木が腐って2〜3年でダメになるエコ地雷だと彼らは説明するが…。

 1997年7月、カレン州の山中を行軍中、地雷原に踏み入れてしまったことが2回もあった。

 ある時、ゲリラ兵の一隊となだらかな山の頂上を目指していた。私を護衛する兵士11人は、30代のリーダーを除いて、全員が10代後半から20代前半の若者たちだ。しかも、ゲリラ兵として毎日、野山を駆けまわっている猛者たちである。リーダーから「ゆっくり歩くから…」と優しい言葉をかけてもらっても、彼らはとてつもない速度で歩き続ける。しかも、長時間歩く。

 「いつ目的地に着くんだ?」と回りの兵士に聞くと、「すぐそこ、すぐそこ(“Nearly, nearly”)」と言ってそのまま数時間歩き続け、山を1つや2つ、軽く越えることもよくあった。

 リーダーのかけ声「オーブェ!」というのが、私がすぐに憶えたカレン語である。意味は、「休憩」である。

 私は行軍中、護衛のカレン兵11人のほぼ真ん中にポジションをとり、先頭を行くリーダーが歩いた後を必ず歩くように注意を受けていた。というのも、山歩きを続ける最中、地雷で足を吹き飛ばされた兵士や牛がハンモックに担がれていく光景に何度も出くわしていた。国軍の兵士や自分たちゲリラ兵が仕掛けた地雷がどこに埋めてあるのか、分からないのだ。

 通訳として同行してくれた友人と私を入れた計13人の一隊は、お互いおよそ4〜5メートルほどの間隔で行軍を続けた。だが、歩いているうちに、私と前を歩く兵士との距離は自然と離れていく。さらに、すぐ後ろを歩く兵士が迫ってくる。前の兵士に追いつこうと、リーダーが歩いた道を外れて草が生い茂った藪に足を踏み入れ、小枝や厚い葉端で頬や腕にかすり傷になりながら、近道をとることが何度もあった。

 ある日の午前中の行軍、なだらかな坂道が続く小山に入った。昼前に頂上が見えてきた。先頭を行くリーダーと足の速い数人の兵士はすでに山頂で休んでいる。頂付近は草木がまったく生えておらず、乾いた地面に幾本かの小道が頂へと続いている。ここでも私は、近道をしようと小道を外れ、一直線に山頂へむかった。

 「動くな、そこは地雷原だぞ」

 目の前に迫った山頂から、リーダーが大声を上げた。私はまず、その声で立ち止まった。間をおいて、リーダーが告げた内容を理解し、身体が固まり、一歩も動けなくなった。

 今思い返しても、冷や汗である。一体どうやって自分がその地雷原ら抜け出たのか、実は、よく憶えていない。頭が空っぽになっていたことは間違いない。おそらく、足の前後を同じようにし、自分の踏みしめた足跡を再度踏み直し、そのまま逆戻りして、地雷原の埋まっていない(と思われる)位置まで一歩一歩、後ずさりしたものと思われる。