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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.196/2014/05


「抗いの彷徨(6)」



監視をかいくぐって密会し、初めて彼にインタビューすることができた

民政移管前の軍政時代、数人の秘密警察官が絶えず彼を尾行していた。この時、その監視をかいくぐって密会し、初めて彼にインタビューすることができた(2010年5月)。

 「もちろん、気持ちはジャーナリストだよ。でも今は、ジャーナリスト活動をするのほど社会的な余裕がないんだよ。政治家として、活動家として軍政に対峙しなければならないんだ」

 国会議員として活動を始めたアウンサンスーチー氏が軍と「妥協的な」行動をとるようになると、彼はそれを批判することもあった。民主活動家でスーチー氏を批判できるのは、唯一、ウー・ウィンティンだけだった。

 さらに、ウー・ウィンティンのすごいところは、生活に必要とする以上のモノを持たないことだった。きわめて質素な生活をおくっていた。拷問が繰り返され政治囚として19年間刑務所で暮らした後、出所してみると、自分の住む家さえなかった。出所後は友人宅の「離れ」に身を寄せ、小さな書斎と小さなベッドと応接間を持つだけだった。誰にも迷惑をかけたくないと、一生涯、独身を貫き通した。

 実は、釈放後の彼のもとには財政的な支援が届けられていた。だが、彼はその支援金を、いまだ獄中にある政治囚やその家族のために基金を創設し、そのために使っていた。個人の生活のためには使おうとしなかった。清貧で頑固すぎるジイさんであった。しかし、その首尾一貫した頑固さは誰もが感服せざるを得なかった。

 彼の訃報は、Washington Post、New York Times、The Independent など日本以外の欧米諸国の主要なメディアでは、大きく報じられた。国際的には「良心の囚人」として、囚われのジャーナリストとして有名であった。ビルマの独立後、軍政を経た民主化運動の歴史に大きな足跡を残した人物である。

 ビルマで今、著名人に会おうと思っても、実は約束を取り付けるのが難しい。軍政の重しが取れ、簡単に面会できると思ったら、そうでもない。誰もが忙しくなっているからである。しかも私は、組織に属さない一介のフリーランスである。この4月も、約束が取り付けられなかった著名人が2人いる。でも、彼らは大手メディアとは会っている。ちょっと僻みがあるかもしれないが、彼ら著名人は会う相手を選んでいるようにも感じる。

 しかし、ウー・ウィンティンは違う。私がフリーであろうが大手メディアに属していようが、そんなことは関係はない。直接電話に出て、時間があれば、会ってくれる。敷居が低いのである。私も直接、5回会うことができた。そして実際会うと、彼の腰の低さと、意志の強さに改めて触れることによって、ちょっと弱気になりがちな自分の気持ちをシャンとさせてくれたのである。これまで取材で会ってきた人の中で、彼ほどの人はいなかった。

 インターネットでウー・ウィンティンのことを検索してみると、彼の業績は簡単に出てくる。しかし、個人的にあった彼の姿をどのように紹介したらいいのか、実は頭を悩ましている。一般的に知られた公の姿のウー・ウィンティンではない、自分が見た実像としての彼をどのように紹介すればいいのか。彼の訃報から一ヶ月が経たない今、彼と会った思い出だけが頭の中を巡っている。

(続く)