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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.186/2013/07

「ビルマ(ミャンマー)の「ロヒンジャ問題」を手がかりにして(9)
—バングラデシュにて(ii)」



公式キャンプと非公式キャンプを隔てる水路を挟んで、生活の質がはっきりと分かれる

公式キャンプと非公式キャンプを隔てる水路を挟んで、生活の質がはっきりと分かれる。
一方では井戸堀りの水道やトタン製の便所が整備されている(クトゥパロンキャンプ)。

 「非公式キャンプ」のキャンプに暮らすロヒンジャの人が、隣り合う「公式キャンプ」の井戸で水を汲んでいると、公式キャンプの同じ難民たちから袋叩きにされた、という。彼ら彼女たちは、ビルマ軍政(当時)から逃れて苦境を続ける同じ難民なのにである。2つのキャンプを隔てるのは、柵もつい立てもない50cmほどの水路である。
 公式キャンプには、コンクリート造りの学校は建っているが、非公式キャンプの子どもたちのために学校を作れば、たちまちバングラデシュ当局によって壊される(私自身、壊された学校跡を目にした)。バングラデシュ当局は、ビルマからさらなる難民の流入をふせぐため、非公式キャンプ内の環境改善を許さないのだ。本来なら、不公平な難民キャンプの運営改善の訴えは、バングラデシュ政府やUNHCRに向かわねばならないのだが、実際はそうはならない。クトゥパロンの非公式キャンプに暮らす避難民たちの憤りは、一見すると得をしているように見える公式難民キャンプに暮らす避難民たちに向かっている現実がある。
 そのクトゥパロンの非公式キャンプで、英語を話す20代後半のロヒンジャの男性に聞いてみた。
 「タイ国境のカレン人難民キャンプでは、例えばKYO(Karen Youth Organization=カレン青年組織)やKWO(Karen Women Organizaton=カレン女性組織)などを作って啓発活動をしたり、難民としての地位向上の活動をしているが、ここではそんな動きはないのですか」
 「以前、若い人たちが集まって活動をしようとしたら、キャンプに暮らす年長者が、『俺たちはムスリムなのだから、モスクでお祈りすることができればいいんだ、余計な事はしなくていい』って言われたんです。それから特に積極的に動こうとは思わなくなりました」

 

 ロヒンジャの人びとを取材していた2009年から2010年、公式キャンプに入るにはキャンプを管理している部署から許可が必要だったが、非公式キャンプへは自由に立ち入ることができ、ロヒンジャ難民たちと自由に話をすることが可能であった。しかし、状況が変わった。2012年8月、クトゥパロンの非公式キャンプに入ろうとしたら、20〜30人の男たちが私の前に立ちふさがったのだ。暴力的なことは起こらなかったが、彼らの表情から有無を言わさぬ圧力を感じた。彼らは、地元ウキア村のベンガル人(バングラデシュ人)の男たちであった。ロヒンジャ難民を支援するNGO活動やメディア関係の取材を妨害しているのだった。ロヒンジャ取材の手配をしてくれている知人は「ヤバイ、帰ろう」と私をせき立てた。