Japan Australia Information Link Media パースエクスプレス

フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.186/2013/06

「ビルマ(ミャンマー)の「ロヒンジャ問題」を手がかりにして(8)
—バングラデシュにて(i)」



クトゥパロンの非公式難民キャンプ クトゥパロンの非公式難民キャンプ(2010年1月)


 バングラデシュ政府は、ロヒンジャたちが自分たちと同じようにイスラームを信仰をするといっても、国内が経済的に厳しい状況下では、ビルマから流入する難民に十分な手当をすることができない。当然、ロヒンジャ難民の暮らしは厳しいものとなっていた。

 サウジアラビアやインドネシアなどのイスラーム諸国、さらに「国連難民高等弁務官事務所」(=UNHCR)の仲介もあって、1987年と1991年にバングラデシュに流出した大多数のロヒンジャ難民はビルマ側に戻った。
 バングラデシュ側に残ったロヒンジャ避難民は現在、コックスバザールの南に設けられた2つの公式難民キャンプに計約2万8,000人が収容されている。公式難民キャンプのすぐ近くには非公式難民キャンプもある。「公式」キャンプには、1992年までにバングラデシュに来た者が、「非公式」キャンプにはそれ以後にやって来た者が暮らしている。さらにコックスバザールからテクナフの地域には、難民キャンプ以外に、ロヒンジャの人びと20万人以上が生活している。
 コックスバザールから地元の路線バスで約1時間、テクナフに向かって南に下ると、ウキアという町にクトゥパロンの「公式」と「非公式」の難民キャンプが、道路の右側に見えてくる。そのキャンプからさらに南へ1時間ほど行くと、同じように右手の幹線道路から奥まったところにレダ「非公式」難民キャンプ、さらに5分ほど走ると右手にナヤパラ「公式」キャンプが現れる。
 すなわちバングラデシュのコックスバザール地域に暮らすロヒンジャは、大きく3つに分けられる。「公式(registered)」難民キャンプ、「非公式(unregistered)」難民キャンプ、難民キャンプ以外に暮らすロヒンジャたちである。ロヒンジャの数は、実は難民キャンプに入っていない人びとが多い。彼らは、難民キャンプに入れなくてキャンプ外で厳しい生活を余儀なくされているのか、あるいは、例えば商売人として一般のベンガル人(バングラデシュ人)にまじって生活しているか、その理由と人口規模は正確にはわからない。