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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.161/2011/6

「何が彼を変えたのか」



 その「縁」が実際、その後も続くことになった。10年前に書いた「縁」では詳しく触れなかったが、ボジョーとのインタビューの中で彼は、ほんの少しであるが、自分の将来を語っていた。
 「戦争が終われば、農夫となって静かに暮らしていきたい」
 「世の中のことをもっと知りたいから、もっと勉強したい」

 ボジョーとはその後、2004年、2007年と2度、タイ領のある所で会うことになった。彼は山から下りてきていた。
 そして今回、2010年から11年にかけて、今度は私がビルマ側のKNLAの支配区に渡り、ボジョーと改めて会うことになった。というのもこの数年、ビルマ(ミャンマー)軍事政権とタイ政府との経済的なつながりが強くなり、両国の国境地帯で活動してきたカレン民族同盟(KNU=KNLAの上位の政治組織)は、特にタイ政府からの監視で身動きが取れなくなっていたからだ。また、安全上の理由もあり、ボジョーはタイ側に姿を現すことはほとんどなくなっていた。

   ボジョーと初めて会った10年前、第5旅団の司令部にあった彼の司令官専用の建物は、ベッドが1つ入るくらいの小さな小屋であった。ひと1人が寝っ転がれば窮屈な空間だった。それが、ビルマ軍が恐れる、カレン民族解放戦線第5旅団司令官が寝起きしている場所であった。
 今回も彼が活動拠点としている所で会ったのだが、それでもやはり彼の住まいは、お世辞にも立派なものだとはいえなかった。前回と同じように、ひと1人が寝転がると窮屈さを感じる、狭い竹組みの小屋だった。
 10年前との大きな違いは、その狭い部屋の中には、英語の原書が何冊も並んでいたことだった。さらに彼は、ジャングルの中でどのような努力をしたのだろうか、10年前とは比べものにならない、ハッキリとした英語を話すようになっていた。私との意思疎通は、全く問題がなかった。  夜、真っ暗な小屋の中でランプを灯し、彼と顔を突きあわせた。そこでボジョーは私に告げた。

 「ユーゾー、以前、君に言ったことを訂正するよ。確か、戦闘が終わったら、農夫になりたいって言ったよね。今は、違うんだ」
 —じゃあ、いったい、今は何がしたいんだ。
 「ここに住んでいるカレンの人たちのためなら、何でもするよ。自分ができることなら何でもしようと思うようになったんだ」
 —どうして、そんな風に思うようになったんだい。
 彼は、私の質問に答えず、続けた。
 「だから、教えてくれ、いろんなことを。外で何が起こっているのか。日本に帰ったらいろんな情報を送ってくれ」

 ビルマ(ミャンマー)の軍事政権が進める「少数派民族」に対する弾圧は、いまだ弱まる気配はない。その一方で、60年以上続くカレン人の民族としての武装抵抗は、年毎に弱体化していく。
 ボジョーは司令官として、軍人として、第5旅団を指揮する立場にある。なのに、彼の新たな決意には、とりわけ切迫感も悲壮感も漂っていない。この10年の間に、何があったのか。いったい何が、彼を変えたのか。
 私は、その質問をしようと彼を見返した。すると、彼の苦笑いするような表情は、私の質問を遮ってしまった。私は思わず口をつぐんだ。ま、慌てることはない。また彼と話しあう機会があるのだから。彼との「縁」はまだまだ続きそうなのだから。

朝早く、コーヒーで体を温めるボジョー。彼の小屋は、ビルマ(ミャンマー)東部を北から南へつらぬくサルウィン河に注ぎ込む支流に建てられていた(2010年10月撮影)。

コーヒーで体を温めるボジョー