Vol..146/2010/3
「差別の構造」

  「ロヒンギャーが市民権を持つことには反対しない。だが、彼らがビルマ古来の土着の先住民族であったり、彼らが固有の地域を持つことは由とはしない」と。
  仏教至上主義を掲げる軍政は、ロヒンギャーに市民権やその先住性も認めない。反軍政の仏教徒のラカイン人は、軍政の立場と一部重なる部分があり、その主張が捩れている。
  ビルマの民主化勢力や少数派民族は、自らのメンバーであるラカイン人の立場を尊重するため、ロヒンギャーの問題について明確な立場を示せないままでいる。できるなら触れることのない事柄としたいようだ。

 難民キャンプ(公式・非公式合わせて4箇所)を訪れてみた。公式キャンプには、1991年にバングラデシュに流入したロヒンギャー難民がビルマ側に戻ることができず、そのまま住み着いている。非公式キャンプには、1992年以降バングラデシュに逃れ出たロヒンギャーが暮らしている。
  当初気づかなかったことが、毎日キャンプ通いをするにつれて、意外な事実を発見した。特にクトゥパロンという難民キャンプは、公式キャンプと非公式キャンプが、細い溝を境に隣り合わせにしているだけである。境界線から両キャンプを眺めると、その違いが一目瞭然である。

    公式キャンプにはコンクリート製の学校や診療所があり、トタン造りとはいえ洗い場や便所が整備されている。非公式キャンプはというと、まさにこれが「難民キャンプ」という見すぼらしい家々が建ち並び、診療所や学校は見あたらない。バングラデシュ当局は、難民がほどほどの暮らしをすることで新たな難民を呼び込むことを恐れている。ロヒンギャーを最低限以下の暮らしの状態に置いておくことで難民の流入を抑えている。
  さらに、驚いたことに、非公式キャンプのロヒンギャーが公式キャンプ側に渡り、そこの井戸で水を汲んだりしたら、袋だたきに遭うという。反対に公式キャンプのロヒンギャーが非公式キャンプ内でうろついていたら危ない目に遭う。同じ境遇の難民のはずなのに、そこに差別と対立が生み出されていた。
  ロヒンギャーの取材を続けながら、対立する差別構造のど真ん中にロヒンギャーが追い込まれているような感じがしたのだ。つまり、ロヒンギャーたちは、ロヒンギャーであるがゆえに差別されているのではない。彼ら彼女らは、人間社会において、常にスケープゴートが必要とされる、まさに差別構造の中に押し込められた人びとではないのだろうか。
  そもそも個人の力ではどうにもならない人種、民族、宗教、性、世代を基準にして、誰かを常に下位に置くシステムを作り、自分たちは「あの人たちよりましだ」という安堵感を得ることによって、本当の問題から目を逸らす構造があるように思える。ロヒンギャーを目の前にして、ある種の差別構造の骨格を見てしまったようだ。
   


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