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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満

Vol.178/2012/11

第7回「たたらの里の暮らし考(7)」


平家の落人伝説が開いたと伝えられる程原集落の集会所 谷小学校の校歌を歌うかつての小学生たち

橋波で唯一残った専業農家、山本博稔さん

集落のすぐ上流に2011年に完成した志津見ダム


 かつての橋波地区は、神戸川が刻む谷に小さな棚田が折り重なっていた。
 ある人がムシロに座ってお茶を飲みながら自分の田を数えたら1枚足りない。「どがいしたか?」と焦って数えなおしたらムシロの下に田が1枚隠れていた——。そんな逸話が残るほど狭小な田畑を大事に耕し、農業と炭焼きで子だくさんの一家を養っていた。
 だが高度経済成長以後、米価は低迷し、過疎と高齢化が進み、手入れできない田が増える。農業では生活できず、ほとんどの家が地区外へ勤めに出るようになった。
 数少ない専業農家だった深井さんと山本博稔さん(64)は、農協青年部の仲間と1960年代半ばから農業機械の共同利用を始めた。島根県は全国に先駆けて75年ごろから集落単位の農業生産体制づくり(集落営農)を進めていた。深井さんらは、県の補助金があると聞いて自治会や農協関係者らと何度も話し合い、勉強会や先進地視察を重ねた。
 橋波の農家は「五反百姓」ばかりだ。それぞれが1セット1千万円近い農業機械をそろえるのは負担が重すぎる。田植えや収穫、乾燥などの作業を地区全体で担えば負担を大幅に削減できる…。そう話し合って93年に18人で「橋波アグリサンシャイン」を発足させた。
 アグリには専従職員はいない。農家から水田を1反8,000円で借りて、組合員が時給1,000円で田植えや稲刈りなどの作業をこなす。畦の草刈りと水管理は1反2万円で地主の農家に作業を委託している。
 高齢化が進み橋波の水田40ヘクタールのうち約22ヘクタールをアグリが管理するようになった。「昔は自然環境や共同作業で地区がまとまった。今は自然のままではダメだから、知恵を寄せ合い仲間意識を作ってきたんです」と深井さんは話す。
 だが、これだけ農地を集積しても「農業だけで暮らすのは無理」と、2010年2月まで組合長だった山本さんは言う。いまや橋波地区で唯一の専業農家となった山本さんは、水田はアグリに任せ、妻や長男と7反(70アール)の温室で菊を栽培している。
 アグリでも、菊やメロン作りを試みたことがある。だが品質も値段も乱高下するから人を雇っていては経営が成り立たなかった。「菊づくりは、忙しい時は家族で夜中まで作業します。残業手当なんて払えません。農業は基本的には家族労働です。集落営農は水田を守るので精いっぱいかな、と思ってます」

 今、橋波の地域おこしの中心になっているのは97年に誕生した「橋波振興協議会」だ。都市の人に料理をふるまう「農家レストラン」を年2回開き、フリーマーケットや歌声喫茶なども催している。
 同協議会長で出雲市役所に勤める石橋正伸さん(55)は、農家レストランや地域資源を都市部に売り込む「コミュニティービジネス」が今後の橋波には必要だと考えている。「アグリは農業生産に焦点をあてて農地を守ってきたが、農地を守っても地域が崩れたらしかたない。農業生産とコミュニティーを結びつけ、攻めの姿勢で地域にカネがまわる仕組みをつくりたい」
 共同作業、集落営農、コミュニティービジネス…、時代の荒波にもまれながら、絆づくりの苦闘が続いている。

(続く)