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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満
Vol.173/2012/6

第2回「たたらの里の暮らし考(2)」


田部家の屋敷

田部家の土蔵群

裏山から見た田部家の屋敷。

旧吉田村中心部にある田部家の土蔵群。

 1955年に4,963人を数えた旧吉田村の人口は2,178人。人影がまばらになった山村では、菓子も売れない。吉原さんは2007年、約8キロ離れた国道54号沿いの「道の駅」に出店した。外部の人にPRするため、地元の平飼い有精卵をつかい、卵かけご飯のしょうゆとして大ヒットした「おたまはん」で味をつけた「卵饅頭(まんじゅう)」を発売した。「人がいないムラでは『地産地消』なんて無理。『地産他消』しか生き残る道はありません」。
 吉田村最後の村長・堀江真さん(59)は当初、合併せず周辺町村との連携で村を運営しようと考えていた。ところが、小泉純一郎内閣による「三位一体の改革」で交付税がけずられ、合併特例債などの「飴」の期限が切られた。郷土の英雄である竹下登氏を通じた中央との絆が予算獲得の武器だった時代は遠ざかり、2,500人の小村が「単独で」などと言える状況ではなくなったという。
 村の中心部には、大手文具メーカー「ナカバヤシ」の工場があり、多い時は約100人が働いていた。工場の環境整備に村の予算を充当するなどして、堀江さんは「存続」を働きかけつづけた。「村に恩義があるから残します」と会社側も話していた。ところが、合併から半年後に「撤退します」と通告され、2006年4月に閉鎖された。「このときはじめて、『周辺地域』になってしまったんだ、という悲哀を実感しました」。

 島根県は、国政選挙で毎回のように投票率全国一を記録している。中でも旧吉田村は大半の選挙で県内トップを争ってきた。故竹下登氏の青年団時代につながりがあった人が多く、竹下氏の得票は他候補を圧倒していた。村長選や村議選では、保守系の候補同士が「集落に亀裂が残るほど」激しい選挙戦を繰り広げた。
 だが合併後、市町村の議員が激減して国政選挙などで票をまとめる「手足」がなくなった。吉田村では、国政選挙になると12人の村議がフル回転して村民に投票を訴えたが、旧村出身の雲南市議会議員は堀江さん1人になった。だから、選挙もなかなか盛り上がらない。「村議のころは『頼む側』だった人が、議員を辞めた今は『頼まれる側』になってしまった。これは痛いですよ」と堀江さんは話した(2009年)。

(続く)