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 人を愛することの答えにはなっていない気もしますが、今の自分がお話できることはだいたいこんなところだと思います。
 部屋に戻ってみると他のどうでもいいものはもと通りのままなのに、MADISONの姿だけが見当たりませんでした。かわりにキッチンのテーブルの上に彼女が残したものらしい手紙が、2つ折にして置いてありました。
  本当はこういうものはあまり人に見せるものではないのですが、ここまで話に付き合ってもらった以上、断る理由も見当たらないのでお見せすることにします。
 MORIO。
 以前あなたが私に聞いてくれたこと、覚えていますか? “どうしてアイルランドからここに来たのか?”

 私の父はある組織のメンバーとして地下に潜りながら政府や体制にずっと抵抗してきた活動家でした。私が15歳のとき(正確には今から6年前に)父が捕まり、父のあとを継いで2人の兄が組織に入り、身辺が危険だからとその組織の人達の力でわたしと母がこの国に逃れてくることになったのです。
  ダブリンを離れるとき、見送りに来てくれた組織の人が、父は助からないだろうと母に話しているのを偶然聞いてしまいました。
 この国で普通の高校生として学校に通うようになった私が、新しい環境と過去の記憶との間で苦しむことになってしまったとしても、それは自然な成り行きだったと思えるのです。 わたしは18歳になっていました。