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あなたの言いたいこと

Vol.195/2014/04


「つまらない親の見栄」


 この間、4歳の娘の誕生日会を開きました。娘の歳になれば、お誕生日会や何かの集まり事は頻繁にあって、多い時は週に1回はあります。なので、気軽に来られて、子ども達が純粋にワイワイ遊べればいいかなと思い、近所の公園でやりました。

 20人ぐらいのお友達が来てくれました。そのうち、日本人の両親をもつ子ども達が7、8人、ハーフの子が2、3人、残りの8、9人が現地の子ども達でした。うちの娘(旦那も私も日本人)は、現地のキンダーガーデン(幼稚園)に行かせていますが、まだまだ英語は100%ではないけれど、その誕生日会でも現地の子ども達と混ざっていっぱい遊んでいました。

 その誕生日会で、もうみんなが集まって1時間以上も経つのに、2人の子どもがお母さんから離れようともぜず、グズグズしていました。具合でも悪いのかと思い、声をかけに行っても、そのお母さんたちは「大丈夫よ」と苦笑いを返すだけでした。

 実は、その2人の子ども、個別に会うと活発で、元気な子たちなのに、大勢で会うとなかなか回りの雰囲気に馴染めない性格の子たちでした。しかも、そこに現地の子どもたちや英語が入ってくると尚更でした。でも、よく考えてみて、4歳程度の子どもにとって、英語なんてまだまだ合図みたいなものです。なのに、そこに敏感に反応するのは、やはり親の影響なんじゃないかと思うのです。

 実際、その両方のお母さんは、「英語ができる、できない」で人の格付けをしているようなところがありました。旦那の仕事の関係でこちらに来ているようで、残念ながらいつも「見栄」を張っているような感じはあります。それを除けば、とっても良い人たちなんですが…。しかし、そんな親の姿を見ているせいか、今回の誕生日会のような状況になると、子どもたちは何か萎縮しているようで、輪に入って行こうともしません。

 「任期が終われば日本に帰る」ならば、今、無理に交友関係を広げる必要はないのかもしれません。そう考えるのも理解できます。ただ、子ども達にはそんなことは関係ないと思います。子ども達の順応性は、大人が考えている以上です。その順応性を使わず、そして大人の「見栄」でせっかくの機会を子どもから奪うのはどうかと思い、投稿しました。

<投稿者>匿名希望 38歳 女性


「もらいたくはありません」


 お金もらってセックスしています。でも、いつも私を指名してくれるオージーが好きになってしまいました。

 普段は密閉された空間で、決まった長さの時間でしか会っていなかった彼と、偶然、郊外のショッピングセンターで会いました。お互い最初は気まずく、立ち話も途切れ途切れでしたが、「お茶でも」となり、カフェに移動してからは、会話は弾みました。

 数週間後、店に来てくれた彼は、いつもと変わらないことをして、帰っていきました。そして、1週間後、駅の構内で子どもと手をつなぎ、夢中で話しかけているその子どもに、私の知らない優しい笑顔で話し返している彼を見かけたのです。その日からです。自分の中の何かが、急に違う方向に動き出したのは。

 そして、また彼がお店に顔を出してくれました。でも、私は、彼の顔を見ることができませんでした。様子の違う私を察したのか、とっても優しい彼が、もっと優しく私を抱いてくれました。そして、彼が財布に手をかけた時、私は自然と「You don't need it」と言ってしまったのです。彼もびっくりしていましたが、「I can't」と言って、ベットにその財布から取り出したお金を置いて、部屋を出て行きました。

 多い時は、週に2回は来てくれたのに、あれから1ヶ月、彼の姿は見ていません。気が狂いそうです。もし、また来てくれたとしても、お金をもらわないとその次がないのかと考え、どうしたらいいのか…。でも、お金はもう、もらいたくはありません。

<投稿者>匿名希望 29歳 女性


「ありがとう&よろしく」


 ニュージーランド人とオーストラリアに来たのが、今から23年前です。当時、23歳でした。26歳で最初の子どもを生み、28歳の時に2人目を出産しました。その2人目の子どもが今年、大学に入学しました。2014年は私の人生で何か節目のような気がして、今の思いを残したく、パースエクスプレスに投稿します。

 日本で大学を卒業後、ワーキングホリデーでニュージーランドに行きました。アルバイト先で知り合った男性とお付き合いをし、その彼の提案でオーストラリアに来たのが1991年です。2年後、赤ちゃんができましたが、結婚前だったので、結婚式は長男と一緒に挙げました。そして、28歳の時に次男が生まれました。ただ、次男が生まれる1年ぐらい前から、夫婦間には溝ができ、その溝を埋めるために2人目を作りましたが、次男の1歳の誕生日を両親揃って祝うことはできませんでした。

 親子3人の生活は、決して楽なものではありませんでした。長男は私が夜、涙している姿を何回も見たと思います。当時、私はまだ若かったので体力的はなんとかなりましたが、言葉も不十分でしたし、金銭面でも苦しかったです。日本にいる自分の両親が、何度も「帰って来い」と声をかけてくれました。日本に帰れば、子ども達にとってのおじいちゃん・おばあちゃんが子育てを手伝ってくれることも分かっていましたが、帰国することは“甘え”で、子ども達のためにならないと思い、生活はこちらですると決心していました。

 子ども達が大きくなるにつれて、いろいろな事も起きました。クラスメートをいじめて、相手のご両親に頭を下げに行ったことも。門前払いを受けましたが、長男と2人、お詫びを聞いてくれるまでエントランスで辛抱強く、ドアが開くのを待ち続けたこともありました。ある時、学校から連絡が入り、次男が登校していないと。学校に行っているかと思えば、アルバイトをしていたようです。金銭的に満足させてあげられていなかったので、自分のお小遣いは自分で何とかしようと思ったのでしょう。

 長男の彼女の両親が怒鳴り込んできたこともありました。ただ、その時は長男の言葉を信じ、一心に長男をかばいました。次男が事故に巻き込まれることもありました。連絡を受けて、長男と2人で現場に駆けつけた時は、本当に生きた心地はしませんでした。

 とにかく、何をするにも自分なりに一生懸命だったと思います。頭の回転が良くないので、自分に正直に、2人の息子には真正面から接してきました。かっこをつける余裕もなかったので、子ども達にしてみれば、魅力の欠ける女性と写ったかもしれません。

 ただ、息子たちと一緒に成長できたこの21年間は、私の全てです。子ども達には、心から感謝しています。「あなたたちがいなければ、今のお母さんはいません。本当にありがとう。そして、これからもよろしくね」

<投稿者>ちさと 46歳 女性