Vol.189/2013/10
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今回は、6歳、31歳、73歳の読者からの投稿を紹介します。
(プレゼントでもらった)アクアドラゴンが(寿命の)6カ月より、もっと長く生きていてほしいな。
大人になったら赤ちゃんを生んで、おばあちゃんにみせたいな。
M&Msを100個食べたい。
おべんきょうを頑張って、アーティストになりたいな。
あと、ダンサーにもなりたいな。
あと、お医者さんにもなりたいな。
(プレゼントでもらった)トランポリンで空まで飛んで、虹の国に行って、キレイなものをもらいたいな。
<投稿者>K 34歳 女性
オーストラリアに住み、もう15年になろうとしています。移住して5年が過ぎた時、日本にいる娘に子どもができ、年に2回帰る日本の楽しみは、孫に会うことへと変わっていきました。早いもので、その孫は今年の4月に小学校へ入学しました。孫の成長は何ものにも代え難く、テレビ電話で話す時間はその日の最も大きな出来事へと変わってしまうほどです。
その孫が、8月に夏休みを利用して私たち老夫婦のところに遊びに来てくれました。小学生になったということで、ひとりで飛行機に乗り、日本から来ました。来ると決まってからは、汚れてもいないのに毎日のように孫が寝泊りする部屋に掃除機をかけ、吹き掃除をして、来るのを楽しみしみに待ちました。
こちらでの孫との時間は、夢のようでした。何をするにも「おじいちゃん」「おばあちゃん」と声をかけてくれ、行動もいつも一緒でした。しかし、孫が来てから5日ほどして主人が体調を崩し、私も普段しないことをしたり、家事も増え、それに主人の看病やらで、体力的にも孫の世話ができなくなってしまったのです。孫には退屈な時間を過ごさせ、本当に気の毒でした。
いつも日本に帰国して、孫に会うのは数日だけです。ただ、今回は3週間も共に生活したことで、いかに自分たちに体力がないのか痛感しました。若いつもりではいなかったのですが、あそこまで弱っているとは思いませんでした。孫が帰り、日常生活が戻ってからは、主人と“いつ日本に帰るか”といったことを話し合うようになりました。「老後はオーストラリアで」と思い、移住しましたが、人の世話になりながらここにいるつもりはありません。
今回は、大好きな孫が自分たち老夫婦の現実を教えてくれたような気がします。オーストラリアの生活は、どことなく地に足がついていないような気はしていましたが、はっきりしました。その区切りを記録として残したく、この度、貴誌に投稿させて頂きました。
<投稿者>荒井 73歳 女性
僕はこの国に住むまで、東京以外に住んだことがありませんでした。
この国に来て、日本人から東京、東京人は嫌われていると気付きました。
東京人は冷たい。東京人は退屈、面白くない。東京人は笑わない。東京人は意地悪。東京は住むところじゃない。様々な罵詈雑言を浴びせられるのです。初対面で「東京出身です」、と言った途端に態度が変わる人もいます。最初は新鮮で面白かったのですが、東京が恋しくなるにつれて怒りを覚えてきます。1番腹が立つのは「東京は人の住む所じゃない」。これです。人の生まれ育った街をそんな風に言われる筋合いは全くないと思います。やめてください。今度言われたら、その人の出身県の悪口を言います。
<投稿者>徹也 31歳 男性