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あなたの言いたいこと

Vol.180/2013/1

今回は、日本とオーストラリアそれぞれからの投稿を紹介します。

「『日本を脱出したい(本誌Vol.179)』を読んで」


 自分は、日本の将来を憂えています。

 引導を渡された一番のきっかけは、福島第一原子力発電所事故による原発問題でしたが、種火はもっと昔から自分の中にありました。それは、幼児・児童虐待です。

 子どもは宝と言いますが、本当だと思います。子どもには将来があり、将来を良くするのも悪くするのもその子どもたち次第と言っても過言ではありません。その子どもたちを虐待した、というニュースを最近、急激にたくさん耳にし始めた、と感じているのは私だけではないでしょう。

 精神的や身体的な幼児・児童虐待もさることながら、映画「誰も知らない」でも社会問題となった、ネグレクト(育児放棄)はこれから更に大きな問題になると思います。その映画「誰も知らない」は実話を元に製作され、本当に悲しい映画でした。そして、記憶に新しい大阪での2児放置殺人事件。3歳の長女と1歳の長男をマンションの一室に放置し、2児とも餓死させた元風俗店勤務の母親によるネグレクトは、怒りを覚える以外の何ものでもなかったです。
 幼児虐待と言えば、宮崎勤の幼女誘拐殺人事件も記憶から忘れ去ることのできない事件です。ウィキペディアによると、日本の児童虐待相談件数の統計を開始した1990年は、相談件数が1,101だったのに対し、2008年は37,323と発表しています(厚生労働省調べ)。昔は告発がなかったかもしれないのでこの数字は不確か、とも言えますが、それにしても数の急増は異常レベルです。

 宝の子どもに虐待を加える大人たちが急増している社会に、未来はないと思います。もちろん、オーストラリアに幼児・児童虐待がないとは言いません。どこにでもあることは分かっています。パースでも問題になっているでしょう。
 しかし、一度見限った日本での生活に覇気がもてず、日々惰性での生活となっています。また、世界で停滞する不景気をものともせず、好景気で沸いているオーストラリア、特にパースが、自分の中で今やオアシス的な存在になるつつあります。今は、とにかく自分の環境を変え、日本のその“虐待”の実態から抜け出すためにも、日本を脱出したい。最近、それしか考えていません。

<投稿者>日本より 42歳 男性


「家族」


 明けましておめでとうございます。今年は良いになりそうです。
 去年初め、お父さんが倒れました。世間一般に言う、エリート商社マンでした。お母さんとは職場結婚で、同期だったそうです。父の病名は、重度のうつ病。そんな父を見ていて、高校卒業からほぼ10年間続いたニートを止めました。
 ワーキングホリデーでオーストラリアに来たのが、2012年の7月。孤立した街と聞いていたパースをあえて選んで来ました。自分の人生の再出発の場所として、“孤立”が気に入ったからです。そのパースで「アニメが好き」が共通の話題となり、オージーの友だちができました。歳は30歳ぐらい。仕事は本屋の店員。親と同居しているので、彼の両親には何度も会っています。お姉ちゃんと妹がひとりづついて、友だちは「上の姉貴はオヤジとできてた」と酔っ払った勢いで話していました。妹はトラックを乗っているみたいで、写真でしか見たことはありません。「ほとんど家に寄り付かない」と言ってました。お父さんは定職に付かず、お酒が大好きのようです。お母さんは、身体にちょっと障害があるようでした。
 その友だちからクリスマスの日のパーティに招待を受けました。別にやることもなく、予定もなかった自分を察したのか、親切な誘いでした。そして、25日のお昼頃、その友だちの家に行ってみると、家の周りには車が溢れていました。工事用のでっかいトラックも停まっていました。普段は荒れ放題の庭も小きれいになっていて、家の中に入ってみると、天井や壁は赤や緑の装飾物でデコレーションされていました。今まで見ていた友だちの家とは見違えっていました。
 キッチンを囲むようにして、お姉さんとお母さんが料理の準備をしていました。笑顔が耐えなかったです。ソファーでは、お父さんと妹が大笑いしながら話しをしていました。友だちは、親戚らしき人たちと中庭でビール片手に話し込んでいました。杖をついた老人は子犬を膝に乗せ、ニコニコしていました。中庭にいた友だちは自分を見つけると、クーラーボックスからビール取り出し、「メリークリスマス」と言いながら差し出してきました。

(次ページへ続く)