今回は、今年1月に旅行でパースを訪れた日本在住の方からの、4月8日に書かれた投稿を紹介します。
「東日本大震災をうけて」
日本は普通の桜が散り、葉桜がキレイな季節です。当地熱海では、これから八重桜が咲いて、その花を桜あんパンの種に加工するため、漬け物業者が買い集めるので、老人や子供が小遣い稼ぎに拾い集める地区もあるようです。
ただ今年は、全然晴れやかな気持ちになりません。まだ、やっと四分の一が終わっただけなのに、もう3年分くらい、いろいろあった気がします。
パース日本人社会の皆様も、お知り合いの方の被災に胸を痛め、日本の惨状に心痛めておられることと推察いたします。
震災から4週間経ち、通信が復旧し、記者が現地入りするにつれて、被害の詳細が明らかになっていき、毎朝、新聞を開くのが辛い日々です。
大々的に報じられる被災地の状況はもとより、被災地から遠く離れた場所でも、日々の生活の隅々まで、災害の影響が感じられます。
毎日着実に積みあがっていく犠牲者数と、一国のトップがテレビ会見して『原発の現況』を報告する画像が繰り返し流れるため、国民がすっかり萎縮し、熱海のような観光地は閑古鳥すら鳴かない状況です。4月の予約は、前年比1割以下(!)という驚異的な数字となっており、早くも街には失業者があふれています。うちの近所のおばちゃんたちも、とにかく観光客が来ないので、パート仕事が雇い止めになり、毎日家にいます。
昭和天皇崩御の時もそうでしたが、日本人はムードに流されやすいというか、一方向に振れやすいので、必要以上の“自粛”ムードが広がってしまい、それが復興のために一番必要な、経済活性化の足かせになっている気がします。浜松でも、東京電力管内ではなく、それ自体は電気を使わない日中の屋外イベント(大凧揚げ)が中止になったと聞きます。
『派手さを排して慎むこと』と、『必要以上に縮こまること』は別物です。なかなか冷静になりにくい状況ですが、こんな時こそ、同じことでも何度も考え直して、長い目で見て、間違いない判断をしていきたいと思います。
ただ一方で、4月に入って、当初の大混乱は収まり、少しずつではありますが、「前を向こうじゃないか」という空気が生まれてきたようにも感じます。
先日は、殉職者6名、今なお行方不明の方が7名いるという宮城県気仙沼消防署でも新任職員の辞令交付が行なわれ、署長さんが「『何をいつまでクヨクヨしているんだ。消防にはやることがあるだろ!』と彼ら(殉職者)に言われないように職務に励み、彼らの無念を晴らそうではないか」と挨拶されていました(4月1日のNHKテレビ昼のニュースより)。
また、3月31日の毎日新聞には、こんな投書も載っていました。
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各地で計画停電が行なわれ、経験したことのない出来事に日本中が混乱した。停電時間の発表の遅れや政府の対応への不平不満も聞こえる。しかし、関係者がわざと発表を遅らせたわけではないだろう。きっと、飲まず食わずで必死に考えたはずだ。被災地のことを考えたら、不満を言うことが私たちのすることなのだろうか。私も、たった2時間足らずだが、停電を経験した。街中が真っ暗になった。見たこともない街の様子に普通でないことを改めて感じた。そう、今は普通ではないのだ。私たちも、被災地の方々と一緒に、戦うべきだと思う。そして、新しいことや便利さが求められてきた世の中で、純粋に「生きること」を考え直すときなのかもしれない
(池田理恵さん、26歳・富士市・小学校教員)
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確かに、節電消灯で街は暗くなりましたが、それだって、生活に支障をきたすほどのもでもない。クルマにはライトが付いているのだから、これまでのように、田舎道まで煌々と照らす必要があるのか。そもそも夜は暗くなって、普通の動物は身体を休めるものなのだから、都会はもとより、熱海のような結構な田舎にまで、24時間営業の店がたくさんあるのは(必然的に、エネルギーが消費され、徹夜で働く従業員がいる)、間違っていたのではないかと、きらめく星空を眺めながら思いました。
オーストラリアを旅行中、ColesでもIGAでも、閉店時間前には客を追い出しに掛かり、時間になるとサッとシャッターを閉めて帰ってしまう。最初こそ、違和感を感じましたが、時間が決まってるのなら、その時間内に買い物をすれば良いだけだと考え直しました。やたらめったら長時間店を開けていれば、一見便利なようだけれども、その分確実にコストが掛かり、それは顧客が負担しなきゃならない。だから、「(いつでも開いていて)便利だ、便利だ」というのは、結局タコが自分の足を喰っているようなバカバカしさがあります。
加えて、消費者が過剰なサービスを要求すると、それに対応するスタッフを用意しなきゃなりませんから、その家族も含めて、不幸な人が増える。だから、あまり“便利・快適”ばかりを求めず、ほどほどで満足することが必要なんだと思います。
田舎町で、夕方8時過ぎまで、うっすら明るい1月に、人々が仕事を終え、夕飯も終えて、窓辺でピアノやギターを弾いて、歌を歌っているのを見て、「こういうのこそ、人間らしい生活だ」と、私は感銘を受けました。帰国後は、いつの間にか、日本のペースに飲まれてしまいましたが、やはり、仕事はあくまで生活の糧を得る手段なのだから、やり過ぎてはいけない、『人生』に影響しない範囲で『仕事』をして行かなきゃいけないな、と改めて思いました。
日本では、今回の原発事故により新規立地はもとより、既存の施設の運用も厳しくなるので、『原発による低コストの電力を使い放題使う』というエネルギー政策も根本的な見直しが迫られます。それにともない、“早い・便利・新しい”一辺倒から、“ゆっくり・耐える・身の丈サイズ”といった価値観への転換も否応なしに迫られると思います。やはり、生活を根本から脅かすような危険物は作っちゃいけない。便利だから使っちゃおうではなく、危ないモノは持たないことを前提に、欲求の方に枠をはめていくという思考が必要です。あれも欲しいこれも欲しいではなく、“無しで済ませる、我慢する”という知恵が、求められていると思います。
さらに、今回の未曾有の災害は、私の周囲でも様々な人間模様を見せてくれました。混乱に際し、底の浅さを露呈した人、足りない尽くしの中で必至に頑張った人、前記のような珠玉の言葉を吐いた人など、いろいろでした。
私が、普段通っている教会では、例の放射能騒ぎで在日30年のドイツ人女性宣教師が、本国からの帰国命令が出たとかで、サッサと帰国してしまいました。「一番福音が必要とされるときに、職業宗教者が人々の元を去るとは何事だ。雲の上でボンヘッファー(ナチスへの抵抗運動で捕らえられ、刑死したドイツ人牧師)も泣いているぞ」と、求道中の私は、大変怒りました。
他方、熱海の隣の伊東市で運送会社を経営する友人は、4トントラックに、食品・衣料品・ガソリン等、支援物資を満載して、被災地へ届けました。春の引越シーズンのピークで、一年で一番の稼ぎ時にもかかわらず、です。
我が家は幼児を抱え、ボランティアに出向くこともできず、義援の費用分担がせいぜいで、歯がゆいのですが、せめて同胞の苦難に思いを寄せて、身を慎んでできることをしたいと思います。反対に、人の不幸を茶飲み話にするような、人間として最低のことだけは避けたいと思います。
人間は死後、歴史の評価を受けます。畏れるべきは、人の目ではなく、歴史の評価だと思います。加えて、個人でも、組織でも、逆風下で、真実が現れます。異常時には、表面を取り繕うことができず、その個人そのもの、その組織そのものが、露わになります。一風吹いたときに、どのようなことを言い、いかなる行動を取ったか。それが歴史の評価の基礎になります。
ですから、このような異常時にあっては、私たちは普段以上に、心にねじりはちまきをして、身を処さなければいけない、歴史の評価に耐えうる言動を積み重ねていかなければならないと思いました。
これを機に国のありようも変わらざるを得ず、2011年3月11日は、『3/11以前』『3/11以後』という形で、時代を画す出来事として、位置づけられていくものと思います。私も、この社会の構成員として、歳相応の貢献をしていきたいと考えています。
<投稿者>静岡県・大内 男性/47歳
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