今回は2010年12月まで約4年間、パースにいた読者からの投稿です。
「人の目」
2006年にケアンズで英語学校に通いながらオーストラリアの生活をスタートさせ、2007年にパースへ移動。そこで、パースがとても気に入り、学生ビザに切り替え、2010年の11月末で卒業。翌月の12月に日本に帰国しました。日本から投稿します。
まず、日本に帰ってきて、最初に感じたことは、時間の流れが大きく違うということです。“パースは時間の流れがゆっくり!”といったフレーズはお馴染みですが、パースがゆっくりではなく(普通だと思います)、“日本が早い”んだと実感しました。何でそんなに早いのか?せっかちな国民性?いや、そうじゃないと思います。
例えば、買い物に出かけたとします。パースでは、お財布と車の鍵(スマート・ライダー)だけ持てば十分でした。冬だって、ビーチサンダルでもOK。でも、日本ではまず、お化粧して、髪を整え、着て行く服を選んで、必要ならばアクセサリーも。車だと混むから電車の時刻表をチェックして…。こんなことをしていたら時間はあっという間に過ぎちゃいますよね。だから、“時間の流れが早く”感じるんだと思います。
それならば実験してみようと、パースにいた時と同じ様な服装で電車に乗ってみました。すると、まず、電車の中で大量の視線を感じたのです。みんな、哀れむような目で私を見ていたんです(笑)。みすぼらしかったのかもしれませんね。それと、さすがにサンダル(ビーサンは持ってなかったので)では寒かったです。ここで感じたのは、とにかく“人の目”が気になったことです。自意識過剰なのかと思って、姉を連れてもう1度同じことをやってみましたが、姉曰く「周りにいた最低10人以上の乗客は、あなたに釘付けだったわよ。かなりびっくりしていたみたい」と。人のことはあまり気にしない性格の私ですが、姉は「もし私だったら生きた心地しないだろうな」と言っていました。
ここで思うことは、時間の流れが早く感じるのは、周りとの同調のためにいろいろと準備やそれに要する時間がかかり、気が付けば時計の針は進んでいるからだと思うんです。逆を言えば、“人の目”がパースには少ないということなんでしょうかね!?
次に感じたのは、孤独でした。
開放感を強調して、「日本に比べてパースは広いね。空も大きいし」とよく言われますが、私が感じた日本は、閉塞感のある寂しさでした。私の実家は東京から電車で1時間以内の住宅地の一角にありますが、私がパースにいる間(東京で1人暮らしを含めると合計15年)、ご近所さんの多くが増築したり、外壁を作り変えたり、ペンキを塗り替えたりしています。でも、高齢化が進み、住人は老人ばかり。景気も悪くて、お金回りも悪いのに、みんなまだまだお金を持っているんだなぁ、と感じていました。隣にどんな人が住んでいるのか分からないような時代なのに、自分の身の回りだけきれいにしているけど、他のことまで気遣っていられない余裕のなさも感じました。そういう意味で、孤独を感じたのです。
この間、幼馴染の友人の実家に母からお使いを頼まれ、お邪魔する機会がありました。20年ぶりです。この家の外観も昔と変わらぬ佇まいで、こぎれいに手が加えてられているようでした。しかし、一歩家の中に足を踏み入れると、くたびれた床に崩れそうな食器棚、張りのない天井に歪んだ窓ガラスが目にとまりました。丁寧に使われ、決して貧しさは感じませんでしたが、外装とのギャップには本当に驚かされました。
その晩、母にそのことを話すと、「ウチもそうでしょう。どこの家でもそうよ。せめてよそ様の目に付くところは、きれいにしておかないと」と話していました。その言葉を受け、“そうか、ここでも“人の目”が気になるんだ!”と思ったのです。でも、外見ばかりを気にしているため、内にこもり、あえて孤独を受け入れているように思えてなりません。
時間の流れや孤独から感じた“人の目”。人間、誰しも“人の目”は気になりますよね。わかっています。人の目があるから、物事が良くなることもありますよ。でも、“人の目”ばかり気にしていたら、自分がなくなっちゃいません?そういう意味では、私みたいな人間は、パースの方が合っているのかなと思います。また大好きなパースに戻れることを夢見て、今年2011年も頑張ります。
<投稿者>さとこ 女性/35歳
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