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日本全国の2006年新入社員入社式は、4月3日に行われた会社がほとんどだっただろう。自分を取り巻く環境の変化を、よく人は“新たな出発”という言葉で置き換えるが、前日の4月2日に叔母が他界した。その叔母の息子さんが昔、アイスホッケーのプレーヤーだったので、“ホッケーのおばちゃん”として自分の記憶の中に生きていた笠原の叔母。77歳だった。オヤジの実の姉である。3月29日にクモ膜下出血で倒れ、4月2日に帰らぬ人となった。

その叔母と最後に会ったのは昨年の12月27日、群馬県の渋川だった。大型の寒気が日本列島を包み込み、例年以上に寒い冬だったためか路肩にはまだちらほら雪が残っていた。コートの袖に手を通しながら店から出てきた叔母は「これで会えるのが最後だからね」と涙を流し、そう言った。もちろんその時は、誰もその言葉を信じなかった。約10年ぶりに会ったその叔母は、日本とオーストラリアの距離を考え、またそう簡単に会うことはできないと考え、根拠もなくそう言ったに違いない。しかし、元気だったその叔母が言った「最後」という言葉が現実となってしまった。お通夜を前日に控え、お袋から「祖母は一生現役だったのよ」と電話で聞かされた。仕事を辞めずに、働き続けていたそうだ。現に、倒れた29日も午前中は仕事をしていたという。

それにしても、この一生現役って本当に素晴らしい事だと思う。何を現役にするのかは個人個人違って当然だが、仕事であれ、遊びであれ、自分が現役であり続けるモノがあるということは、本当に大切な事だと思う。現役でいられるモノ、つまりいつまでも自分らしくいられるモノを持つということは、生きがいに直結するだろう。

4月3日から身の回りでの環境の変化を体感した新入社員。終身雇用制度の崩壊、契約社員制度、フリーターの増大、安易な企業発起の発想、といった時代の流れの中で、いかに自分にとって一生現役でいられるためのモノを探し出せるのか…、これって人生のキーワードのような気がする。

ホッケーの叔母ちゃん、安らかにお眠りくださいませ。

パースエクスプレス編集長
今城 康雄
2006年4月6日