Vol.217/2017/02
さらに、時代をさかのぼり、自分が生まれたる前は果たしてどんな時代・社会だったのだろうか。自分が生まれた1963年は米国でケネディ大統領が暗殺された年で、その16年前は1947年だから、前の戦争アジア太平洋戦争の敗戦から2年しか経っていない。
自分の今だけを考えるのではなく、未来や昔に物事を考える基準を移してみると、世界は変わっているのか、時代が変わっているのか、はたまた自分はどのように変わっているのか、いろいろと思い起こさせてくれる。
自分だけが永劫未来、変わらないことはあり得ない。なのに、人は今の自分だけを中心として考えてしまう。そのような凝り固まった習慣から抜け出るようにしなければならないのでは、と。
電車に乗って窓際に座ったときのことを思い出してみた。電車が駅に止まったとき、たまたま対向の電車が窓の外に見える。しばらくして窓の外に見える電車が動いていると思っていたら、自分の方の電車が動いていた。いや、隣り合った電車の双方が同時に動いていた。一瞬、フワッとした感覚に包まれる、まさにその感じである。私が言いたいのは、このフワッ、とである。そのフワッとしたモノには形はない。時代の雰囲気、空気ってのは、実はそんなフワッとしたものではないだろうか。
この16年間、西オーストラリア州・パースから日本に送られてきた『パースエクスプレス』を積んでみた。この間の連載は、形として雑誌は残っている。だがこの16年間の連載で、形として表せないフワッとしたモノが自分の中に残っている。それは何か分からない。が、ここではそれを分からないまま、そのままにしておきたい。そのフワッとしたものを、パースの読者の方々にメッセージとして残せていたら、私のやってきた16年は意味があったものではないかと思っている。
そもそも私は、今でこそフォトジャーナリストと名乗っているが、写真を始めたもともとの動機は、世界を見てみたい、見知らぬ世界を経験してみたいということから始まった。訪れる先々で、自分の見たモノ感じたモノを日本の雑誌社にレポートとして送り、それを旅の軍資金とするつもりであった。それが写真を学んでいくにつれ、写真の面白さと奥深さに引き込まれ、ジャーナリストとなってしまった。
出発点は、落ち着き先のない旅人が出発点であった。それ故、最後の原稿である今回のタイトルは「漂泊のフォトジャーナリスト」としてみた。
(完)
16年前の2000年と言えば、時代は20世紀から21世紀に移り変わる時でもあった。私はその時、戦闘の続くビルマ(ミャンマー)の山の中で、世紀の変わり目の朝、迫撃砲の音を聞いていた。当時、武装抵抗闘争を続けていたゲリラの司令官とは今も付き合いがある。 |