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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.210/2015/07


記憶と記録の交差点(6)—<Room 411>に暮らして(1)



On The Road by Yuzo Uda
フォトジャーナリストの出発点は、中米エルサルバドル。軍事政権末期のエルサルバドルでは、
軍政に反対するゲリラ組織が最後の最後まで山の中で抵抗運動を続けていた。


 「どう、ビルマ語を教えるアルバイトしない? 個人授業で一日4時間で5ドル、一ヶ月で150ドルになるけど…」
 私の方は、一日2人で計10ドルの出費となる。宿泊費よりも高い。実は、先生選びもコツが必要となるのです。いくら日本語をうまく話す人であっても、毎日、顔を合わせる個人レッスンなので、その人とフィーリング合わないとレッスンを続けられない。日本語は少々まずくても、教え方がうまくて一緒に居て気詰まりしないという人を探す必要があります。何度か僧院の喫茶店にに出入りして、これは、という人にお願いすることにしました。
 私には、ビルマ語の読み書きは必要ありません。過去形や文法も必要ない。3ヶ月で会話ができるようになること。それが最重要の課題でした。発音を中心とした会話の練習の繰り返し、毎日、ただそれだけをひたすら続ける。中米取材の時にはスペイン語は2週間でなんとかなった。カンボジアのクメール語は、3日間かけて簡単な会話をできるようにした(もちろん、すぐに忘れるけれど…)。
 しかし今回、腰を据えてビルマ取材を続けるつもりだったので、取材に必要な会話力は絶対に必要でした。できるだけビルマ語環境に浸りっきりになること。そのため、思わず日本語を話すことになってしまう、日本の旅行者とは接触しない。もちろん、英語も使わないようにする(過去、英国の植民地支配を受けたビルマは英語を話す人が多かった)。そんな状況でビルマ語を習得していく日々を過ごしていくうちに、一人でいる時間が増えていきました。
 DHゲストハウスは安宿なのに、どうして部屋にエアコンがあるのか—それは、部屋に窓がないからである。換気口などもないため、扉を閉めると息が詰まる。電気を点けないと、部屋の中は真っ暗。実際、停電が頻発していたビルマのヤンゴンだったので、部屋に入ると、昼夜問わず、真っ暗な日々を過ごすことになりました。扉を開けたいが、蚊が入ってくる。それに保安上よろしくない。
 そんな<Room 411>で毎日を過ごすようになって辛かったのは、ベッドに横になって寝入ってしまい、ふと目が覚めると、何時か分からなかったことです。知らぬ間に寝落ちした時は、電気が通じていて、エアコンも作動していた。が、寝入っている間に停電になっていた。暑さと息苦しさで目を覚ますと、真っ暗である。トーチを点けて、時計を見ると、短針が3時を指している。午後の3時だと思って、部屋の扉を開けて外に出てみると、真っ暗。朝の3時でした。ガックリします。
 雨季の期間5月〜10月は一日中、湿気を含んだ雨が降り続く。ジトジトジメジメジクジクと湿っぽい。雨降りは、よっぽどのことがない限り写真撮影に出ない。カメラを雨で濡らして故障させてしまうと、現地では修理ができないので、取材に支障をきたしてしまうからです。雨降りの夜に停電が重なる日々が続くと最悪。部屋に戻って、真っ暗な時を過ごす羽目になる。ロウソクの灯りの下、取材に来ているとは分かっていても、話し相手もいない中、汗みずくになってベッドに横になると考えてしまう ── 一体、自分はここで何をしているんだ、と。
 納得のいく写真が撮れず、取材の結果は出ていない。後援者がいるわけでもなく、はたまた取材の手応えがあったとしても発表のアテがあるわけでもない。なのに、ほとんどが不確定なままで時間を過ごし続ける。果たして、本当にいいのか。不安な日々が続きました。
 <Room 411>で自問自答の日々を続けていました。実は、そういう孤独な日々があってこそ、その反動として、その後の取材の原動力の一つになっていたのではないかと、後日、振り返ることになるんですが…。

──では、今も取材を続けている、その行動のモチベーションをどうやって保ち続けているんですか?
(続く)