今年5月の連休、その前半の3日(日)のできごと。知人と連れだって、京都の円山公園を通り抜けた際、小さな人だかりに出くわした。円山公園といえば、お花見で有名な市民の憩いの場であるが、同時に知る人ぞ知る、1960年代からデモ集会の出発地点や抗議集会の開催場所で有名な公園である。
その小さな人だかりに目をやると、人の輪の中心に座っている人物に見覚えがあった。奇抜な衣装と年嵩で、すぐに誰であるか分かった。大道芸人の「ギリヤーク尼ヶ崎」さんだった。ちょうどその際、一眼レフカメラを持っていたので、写真を撮ろうかなと思った。でも、そんな野暮な考えはすぐに捨てた。その時、数年ぶりに知人と久闊を叙していたし、ギリヤーク尼ヶ崎さんを撮るなら、通りすがりにシャッターを切るのは中途半端で、なんだか申し訳ないと思ったからである。ギリヤーク尼ヶ崎さんは、腰を据えて撮る対象なのである。
その翌日、なにげなく facebook を眺めていると、「京都・円山公園でギリヤーク尼ヶ崎さんが通帳や財布などが入ったカバンをなくした」との書き込みを見つけた。
ああ、「最後の大道芸人」と称されるギリヤーク尼ヶ崎さんも大変な目に遭ったんだと、改めて彼の存在を思い出すことになった。
ギリヤーク尼ヶ崎さんは、その名前からして際立っている。(お手軽)ウィキペディアで調べてみると、次のように説明されている。
(ギリヤーク人とは)樺太の他の先住民と同じく、古くは狩猟・漁猟をしていた。また近世には日本と清の貿易の仲介もしていた。
現在多くはロシア領内に住むが、第二次世界大戦前に日本領だった南樺太に居住して日本国籍をもっていた者は、日本の敗戦後に北海道(網走市など)へ強制移送されたり、進んで移住したりした。
(中略)
ロシア革命前はギリヤーク(гиляк)と呼ばれていたが、現在では彼らの自称に基づいてニヴフ(нивх)と呼ばれている。「ギリヤーク」という名称はロシア語風に訛ったものであり、もともとは「ギリミ(吉里迷)」といった。
|