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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.206/2015/03


「記憶と記録の交叉(4)」



On The Road by Yuzo Uda

知る権利、学ぶ権利は世界標準である。物売りの仕事の合間に文字を学習する女性(中米エルサルバドル)。



 2月は、久しぶりにビルマ(ミャンマー)入りすることができた。この間、知らぬ間に10ヶ月間もビルマから離れていた。この20年間、一年に数回、必ずビルマ(ミャンマー)入りしていた私には、こんなにも長い間、訪問を控えていたのは初めてであった。


 軍事独裁から民政移管した後のビルマ(ミャンマー)は現在、現地の出来事は地元の取材者がより深く取材するようになり、私のような外国人の出る幕は徐々に少なくなっている。そこで、いつものように現地入りした後、時間を見つけて原稿をまとめ、本誌編集部に送ろうと考えていた。だが、いったんビルマ(ミャンマー)に入ると、久しぶりの訪問だったため、これまで以上に取材で走り回ることになり、落ち着いて考えをまとめることができなかった。久しぶりに原稿を落とした。

 実は、昨年暮れから、世界でいろいろな形の「テロ事件」が起こり、日本の人も関わった事例もあり、自分なりに考えをまとめようとしていた。だが、それぞれの事件の複雑さで、考える手がかりをつかめず、右往左往することになっていた。

 その事件の一つが、フランスで起きた「シャルリーエブド社」に対する襲撃である。この事件が起こった直後から、世界で一斉に沸き起こったのが「表現の自由」に対する支持表明の動きである。ところが、同社が発行する雑誌は、イスラーム教の預言者ムハンドだけに限らず、多くの問題のある風刺画を掲載していた。そのため徐々に、ムスリムばかりでなく多方面から反発を受けていたことも判明してきた。インターネットで世界がつながったように思える時代に、「表現の自由」の旗印の下、自由な風刺や揶揄が自由に公表されることが赦されるのか、という指摘もされるようになっていった。

 もちろん私も、原則として「表現の自由」を尊重する。だがそれは、権力者による介入に対抗するという意味での「自由な表現」という留保条件がつく。


   欧州はかつて、宗教者が絶対的な権力を持っていた。近代社会は、その絶対的な宗教を乗り越えて来た歴史を持つ。だからこそ、その絶対的な権力者を批判する「表現の自由」が尊重されてきた。だが、そのことをもって、「表現の自由」は絶対的といえるのだろうか。

 この「表現の自由」という言葉が喧伝されるたびに私は、「戦う民主主義」という言葉を思い起こす。この「戦う民主主義」を標榜しているのが、フランスと同じ欧州のドイツである。

 「戦う民主主義」とは、簡単にいうと、《民主的な手続きをもって民主主義を否定するような発言や行動は許されない》ということである。「表現の自由」に明確に制限を課している。それは第二次世界大戦の反省—ナチズムからの教訓である。時代の教訓から生まれた考え方と行動規範である。