Japan Australia Information Link Media パースエクスプレス

フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda

Vol.197/2014/08


「抗いの彷徨(8)」



屍肉をあさる鳥に交じり、ゴミ捨て場で働く人びと(グアテマラ)。

屍肉をあさる鳥に交じり、ゴミ捨て場で働く人びと(グアテマラ)。

 「じつはペシャワールからは多くのジャーナリストたちが自由にゲリラとともに往来していた。即席の従軍戦記の類いが多く、ゲリラ勢力の勇壮な姿のみが大きく伝えられた。『シルクロード』の異国趣味と大差なかった。事実を伝えることさえ『売れる商品』に仕立てる風潮のなかで、200万人近い死者を出した戦争が正確に伝えられなかった事実を、我われは知るべきである。」

 「現地は外国人の活躍の場所や情熱のはけ口でもない。文字どおり共に生きる協力現場である。」


 それだからこそ、ゴミ捨て場の写真を撮り始めた時、私はフィリピンのスモーキー・マウンテンには行かなかった。安易な現場行きは避けていた。まずは中米ニカラグア・グアテマラ・エルサルバドル、東南アジアのカンボジアを回って10年後、ようやくフィリピンに行くことにした。スモーキー・マウンテンは、有名な場所だけあって、ゴミ捨て場の規模はどこよりも大きく、働いている人も桁違いに多かった。


 日本に戻り、これらゴミ捨て場で働く人びとの報告(写真展)をすると、似たような反応が返ってきた。その多くは、「こんな悲惨な状況の中でも人びとは力強く生きている」「貧しいながらも、子どもたちは目をキラキラ輝かせている」「厳しい生活にも負けず頑張っている姿を見て、生きる勇気をもらった」というものであった。

 でも、私が本当に伝えたかったこと—どうして彼ら/彼女たちは、そのような生活をせざるを得ないのか。(いわゆる)先進国と途上国の格差を固定するような社会構造に目を向けて欲しい、というメッセージは、受け手の意識にはなかなか浮かび上がってこなかった。

 もちろん鑑賞者には、作品をどのように理解し納得するかの自由はある。それでも、取材者・報告者として、私の言いたいことがなかなか伝わらないのは、力不足以外の何ものでもなかった。それが私が受け入れなければならない現実でもあった。そして、そのような現実を知ったことは、実は私にとって大きな勉強にもなった。そのことは、現場に行って現実を見たことと同じくらい重要なことであると、この仕事を始めて20年以上経ち、ようやく冷静に見つめ直すことができた。


(続く)