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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.164/2011/9

「独裁国家の変化─鵺のような捉えどころのなさ」


ノーベル平和賞受賞者のスーチー氏が支援者に手を振る

7年半の自宅軟禁の「解放」後、初めての地方遊説に出かけた1991年のノーベル平和賞受賞者のスーチー氏が支援者に手を振る(バゴー市、8月14日)


 この夏(日本の)もまた、こっそりとビルマ(ミャンマー)に入った。  一般に観光ビザは下りやすくなっているようだが、NGO(非政府組織)などへのチェックは厳しく、観光目的であっても援助関連団体に勤めている私の友人2名へのビザ発給は却下された。
さて、東南アジア最後の軍事独裁国家ビルマは昨年11月、22年ぶりに軍政主導の総選挙を行い、その1週間後には民主化主導者アウンサン・スーチー氏を3度目の自宅軟禁から「解放」した。そして、誰もが予想した通り、総選挙の結果は軍の翼賛政党が圧勝した。
 2011年1月31日、軍政は選挙結果をもとに、49年ぶりに議会を開催する。2月には議会で新大統領テインセイン氏を選出し、これも筋書き通り、ビルマは3月30日に公式に「軍政」から「民政」移管することになった。もちろんこの一連の動きは、ビルマの一般の人びとの意思によるものではない。
 そして、この一連の動きの中、20年もの間、絶対的な権力を握っていた独裁者タンシュエ上級大将は、公式のアナウンスなく、公の場からひっそりと姿を消した。
 「民政」移管後のビルマ政府は、本当に変わったのだろうか。英文で流れているビルマに関する記事を見ると、新体制を表現するのに、“nominally(名目上は)”“military-backed(軍に支えられた)”“quasi-(外見上は)”と、あくまでも括弧付けの「民政」移管だと念を押している。

 さて、ビルマ入国後、最大の都市ヤンゴン(ラングーン)に入って、早速いつものように周りに注意しながら町の中を歩き回ってみた。どうやら、何かが変ったようだ。でも、具体的にこれが大きく変わったのだ!、って指摘できないのが、もどかしい。それこそ東南アジアのどこにでもある、それぞれが問題を抱えた一つの国の一つの町という感じでもある。ほんの数ヶ月前まで、半世紀にわたって軍部が強権的な支配を続けてきた軍事独裁国家だと感じるところは全くない。
 観光客の数も今年は、隣国タイのように1,000万人超には遙か遠く及ばないが、それでも30万人を超えそうな勢いだ。なんだか「普通の国」になってしまったようだ。でも、体制はそんなに簡単に変わることができるのだろうか、何かモヤモヤした印象だけを感じてしまう。それとも、もしかして私はこの国の変化に関して勘違いをしているだろうか。おかしいのは私の方なのだろうか?