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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol.156/2011/1

「最初で最後の新聞記事」



1995年1月20日付けの朝刊(『朝日新聞』)


1995年4月26日付けの新聞(『読売新聞』)

 2011年の年初めは日本で過ごすことになった。1月の神戸といえば、必ず17日の大震災のことが思い起こされる。1995年1月17日午前5時46分のことである。あれから16年が経ったのか。
  1周年・5周年・10周年・15周年という切りの良い数字では、あの地震のことはイベント的に思い起こされるかもしれない。だが、被災者にとっては新しい年を迎える1月は、毎年の思い出でもある。もっとも、あの震災を、忘れまじと思う人や忘れたいと思う人と、さまざまな人がいるであろう。
  「自然災害」が起こるのは世の常である。自然災害の被災者は、もちろん地震だけではない。また、誰が何時どのような情況で自然災害に遭うのか分からない。また、交通事故や火災など、世にある災害には、自然による被災者に限らず、人為的な被害者もいる。それ故、私自身、神戸の地震(正式には、阪神淡路大震災と呼ぶようだが)の被災者という立場を特権化するつもりはない。

 ドンと突き上げる衝撃を感じた。
  瞬時に、ゴォー(ごぉぉおぉー)という衝撃と揺れが続いた。14階建てのマンションの最上階の部屋だった。揺れるに揺れた。マンションが、一瞬、あっ、倒れるか、と思った。同時に、あ、これは夢か、とも。
  長かったような、短かったような。
  実際、どのくらいの間揺れがあったのか覚えていない。数十秒の揺れの後、すぐに脅威は去ったと理解できた。
  とりあえず逃げなければ。近くの公園へ避難する。近辺を歩いてみる。地面が割れて、地中から砂が吹き上げた後を見つけた。これが(後で知る)液状化現象だった。
  さ、起こったことは仕方ない。部屋に戻って片付けを始めた。散らかった食器を片付け始めた。後は、淡々とした数時間が流れるだけだった。

 この時の体験は、その後ずっと身体に染みついていると思うことがある。例えば、今のフリーランスのフォトジャーナリストという仕事をしていて、時々、どんなことが起こっても、なぜだか頭は冷静に保っていることができると感じることだ。
  非常時にアドレナリンが想像以上に身体の中を駆けめぐっていても、何が安全かそうでないか判断し、本能的に身の安全を確保しようとすることだ。

 16年前の出来事を、新年を迎えるに当たって思い出しても仕方のないことなのだろうか。いや、実は、そうではないのだ。というのも、新聞の切り抜きを続けて25年以上経つが、メディアに関わる1人として、これまで日本で目にした最高の新聞記事が、この震災関連の記事で出稿されたことを改めて思い出すからである。意識して新聞を読み始めて30年間。私が最高の新聞記事と思うのが今回の写真である。
  見開き一面が名前で埋まっている。震災で亡くなった人びとの氏名である。

 1995年1月20日付けの朝刊(『朝日新聞』)〈※上写真〉

 衝撃的な紙面である。
  この紙面の前も、後も、名前でいっぱいなのだ。警察発表を元にしているとはいえ、ただ単なる文字ではない。ひとり一人の暮らしがあったんだ。そう思うと、胸が詰まる。

 『読売新聞』(1995年4月26日)〈※下写真〉も同じである。
  こちらの方は、紙面編集を担当した木村未来記者が一文を添えている。
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   どうか安らかに
   一月十七日の震災の震災から百日。
  瓦礫(がれき)が残る被災地にも春風が吹き、街が、人が再建
  に頑張っています。
   震災直後から、お亡くなりになった方々の名前を確認する
  担当となりました。そのお名前は、五千五百一人にのぼりました。
  一人ひとりが生きた証(あかし)と無念さを感じ、人生に思いを
  はせました。
   それぞれの夢が一瞬にして奪われた事実を、この悲しい紙面が
  物語っているのです。
   「息子夫婦が阪神大震災の犠牲になったことを、子孫に伝え
  たい。記憶を薄れさせないことが、私たちの努めです」。淡々
  と語る母親の声が、今も耳に焼きついています。
   冬から春へ。五千五百一人のさまざまな思い出と付き合って
  きたような気がします。どうか安らかに、力強く立ち上がる者の
  歩みを見守っていただきたいと切に思います。
                       (木村未来記者)

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  あるコラムで「新聞とは、見開きの完結したメディア」だと書いていたことを思いだす。確かに新聞は、見開きのメディアであり、完結したメディアである。それゆえ、この震災直後の紙面に、紙という形をもったメディアに(デジタルデータではない印刷された)、数え切れない名前を前に、いつも圧倒されてしまう(セピア色のなった紙面でも)。
  そこにあるのは、文字の羅列という事実だ。だが、単なる事実ではない名前の連続である。今後、こんな新聞紙面を見ることは、ないであろう、いや、そうあって欲しい。