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フォトジャーナリスト宇田有三氏による衝撃ルポ

On The Road by.Yuzo Uda
Vol..154/2010/11

「--14年の後、結婚しました--」



 2010年11月7日、東南アジア最後の軍事独裁国家ビルマ(ミャンマー)で20年ぶりの総選挙が行われた。だが、民主化指導者のアウンサン・スーチー氏は選挙には参加することもなく、多くのビルマの人は「あらかじめ結果が分かった選挙だから興味がない」と関心を示さない。
  その選挙直後、そのビルマとタイ国境で、数多くある「少数民族」の反軍政・武装抵抗組織の一つ、カレン仏教徒軍が国軍兵士と交戦した・・・、という情報が入ってきた。
  私は選挙取材のため、その現場から数百キロ離れた旧首都で、ビルマ最大の都市ラングーン(ヤンゴン)に入っている。
  その交戦の余波で、1万人近い(という情報)難民がタイ側に逃げ込んだという。この連載でも何度も触れたが、ビルマとタイ国境にはビルマ難民(その多くはカレン人)約14万人が厳しい生活を余儀なくされている。ビルマの軍事政権による少数派民族への弾圧はこの四半世紀、止むことはない。
 
  実は、この交戦に遡ることおよそ1ヶ月前、私もこの国境周辺の難民キャンプの一つに入っていた。もっともその目的は別のところにあった。9月末、このビルマとタイ国境から急遽メールで連絡が入ったからだ。
  「息子が結婚するんだ。もちろん来てくれるね」
  結婚式まで10日あまり。なんでもっと早く連絡してくれないんだ。相変わらずだなあ。そうぼやきながらも、なんとか日程をやりくりして日本を発った。

 その「息子」と初めて会ったのは1995年。彼は当時、まだ12歳の男の子であった。あれから16年もたったのか。ちょっと感慨深い。もっともその男の子とは折に触れ、会う機会があり、最後に彼と会ったのは3年前だった。
  左ページ上部写真は、ビルマからタイ側に渡った直後、不自由な難民キャンプの中、ロウソクの灯のもとで勉強する彼である。
  28歳となった彼は今、難民キャンプ内の教育を司る部署で、同朋カレン人のために働いている。

 

父親と一緒に記念撮影。
父親と一緒に記念撮影。
無事、結婚式が終わった。一刻も早く、彼らを紹介する文章から「難民」という言葉がなくなって欲しい。
無事、結婚式が終わった。一刻も早く、彼らを紹介する文章から「難民」という言葉がなくなって欲しい。

 

 
ビルマからタイ側に渡った直後、不自由な難民キャンプの中、ロウソクの灯のもとで勉強する『彼』。

結婚式の前夜、相手方の父親も含めて簡単な食事会が開かれた。
結婚式の前夜、相手方の父親も含めて簡単な食事会が開かれた。
結婚式の前夜、母親と結婚指輪を確認する(彼の一家はクリスチャン)。
結婚式の前夜、母親と結婚指輪を確認する(彼の一家はクリスチャン)。
結婚式の直前、お姉さんから結婚式用の化粧をほどこされる。
結婚式の直前、お姉さんから結婚式用の化粧をほどこされる。
結婚式が始まる前、友人と携帯電話で話を続ける。
結婚式が始まる前、友人と携帯電話で話を続ける。