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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満

Vol.185/2013/06

第14回「たたらの里の暮らし考(14)」


斐伊川沿いにある西日登小学校

江の川沿いのわずかな土地に開けた、旧大和村中心部の都賀本郷(奥)と都賀西(手前)。

 闇に包まれた境内に、笛と太鼓が鳴り響く。親子連れが行き交い、竹灯籠の淡い灯が揺れる。夜神楽にこんなに多くの子が来るのは何年ぶりだろう。「ああええなあ。昔みたいなにぎわいだぁ…」。神楽殿で舞う栗原進さん(62)は、胸がいっぱいになった。2008年10月、江の川沿いの旧大和村の中心部、都賀本郷地区の松尾八幡宮の秋祭りでのことだ。
 かつて秋祭りは、1年で一番の楽しみだった。栗原さんが子どもの頃、笛の音が聞こえてくると、いてもたってもいられなくて参道の石段を駆け上がった。参道や境内には20軒以上の露店がならんだ。
 旧大和村は山林が92%を占め、耕作地は2%に満たない。昔は炭焼きや林業、その後は公共事業で生計をたてた。とりわけ1972年の水害後は災害復旧で建設業者が急増し「災害産業」と呼ばれた。ある住民は「イノシシやサルしか歩かん林道や、1日に車が1台も渡らん橋もできた」と自嘲気味に語る。
 過疎が進み、公共事業は減る。秋祭りも次第にさびれ、神楽を見る人は毎年30人程度になった。テキヤ(露天商)の露店も姿を消した。
 旧大和村は2004年に隣の邑智町と合併して「美郷町」になる。同時に旧来の10〜30世帯程度の単自治会を束ねた「連合自治会」を旧村内に7つ設けた。
 そのうちのひとつ、上野連合自治会の初代会長になった吉田晃司さん(71)は、高校時代から県外に出て松下電器に就職。関連会社の社長などを歴任して定年後にUターンしてきた。
 40数年ぶりの故郷は高齢化率が5割を超え、崩壊間近の集落も多い。「もうどうにもならん」というあきらめに沈んでいるように思えた。「新しいことしよう!」と声をあげると、「晃司さんはほっといたらええ」と疎んじられた。
 6年前に連合自治会長に就任すると、月1度、全戸配布するA4判の「かわらばん」を創刊した。ゴミの日や赤ちゃん誕生、訃報などの身近な情報とともに、町おこしのアイデアや他地区の取り組みなどを載せる。1年、2年と続けているうちに浸透し、「美郷町の広報よりなじまれている(町職員)」と言われるまでになった。