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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満
Vol.176/2012/9

第5回「たたらの里の暮らし考(5)」


トウガラシを栽培する古居忠さん

トウガラシを栽培する古居忠さん。

 たたら製鉄の炉を収める建物「高殿」が、全国で唯一残る吉田村(島根県雲南市吉田町)の菅谷地区。8反(80アール)の水田を営む古居忠さん(69)は1980年代半ば、仲間と村の特産品を作ろうと思いたった。33歳まで農協に勤める中で、付加価値を生む加工分野まで農家が手がけるべきだと考えていたからだ。
 村内の知人が自家用に作っていた「とうがらし味噌」を試みに作ってみると、ご飯に合うし、観光土産にもなりそうだった。種子を探したら、役場近くの道端に赤い実を見付けた。廃品回収業を営む在日韓国人が栽培していた。そして、種子を分けてもらって栽培をはじめた。
 
 低温殺菌で知られる木次乳業の佐藤忠吉相談役らが作った「きすき有機農業研究会」に参加する古居さんは、農薬を極力減らし、米ぬかや菜種かすを使ってとうがらしを育てる。村民が株主になって85年に設立した第3セクターの「吉田ふるさと村」にそれを卸し、「ふるさと村」が焼き肉のたれや「とうがらし味噌」といった商品に仕立てている。
 過疎と高齢化が進む山村は、イノシシやサルが増え、電気牧柵やトタン板の囲いがなければ、人間の口には何も入らない。「イノシシが高齢化した農家のやる気にとどめを刺している」と雲南市産業振興課は説明する。
 その点、クマ撃退スプレーの原料カプサイシンを含むとうがらしは、イノシシもサルもカラスも寄せつけない。病虫害に強く栽培も比較的やさしい。乾燥作業は、使われなくなった葉たばこの乾燥施設を転用できる。古居さんは2010年、2.3反(23アール)の畑で2トン収穫した。さらに、菅谷地区の34戸中28戸が共同で米作りをするために10年春に結成した農事組合法人「すがや」も、古居さんの指導でとうがらし栽培に乗りだした。「健康志向で国産とうがらしの需要はあるし、獣害に強く、高齢者でも作りやすい。中山間地の水田の転作の重点作物として広めてほしいと思ってるんです」と古居さんは期待を込める。
 とうがらしは、戦後直後は栃木県や茨城県を中心に年間数千トン生産され、韓国などに輸出していたが、現在は200〜300トン。9割超を輸入(08年は1万2千トン)に頼っている。
 JA雲南は、05年からとうがらし栽培をはじめた。08年に中国製ギョーザの中毒事件が起きると、国産品の需要は急速に高まった。雲南市産業推進課によると、同市内だけで一時6.5ヘクタールまで栽培する畑が広がった。ただ、種子の品質が安定せず、へたを指で取り除く作業が、とうがらしの成分で目が痛くなるため、2010年は3ヘクタールに減っている。生産量は年間7トン程度という。JA雲南は、品質が安定した種子を導入するとともに、へた取り機械の開発に取り組んでいる。藤田雅一・園芸課長は「国産の需要は高く、メーカーからは何十トンでも買うと言われている。末端価格も高い。へた取りさえ機械化できれば大展開できると思っています」と話す。