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現役新聞記者が、過疎化・少子高齢化が進む日本を追う

ムラの行方 藤井 満
Vol.173/2012/6

第2回「たたらの里の暮らし考(2)」


旧吉田村中心部

旧吉田村中心部。田部家の企業城下町だった。

 「菅谷山内」が、当時の最先端工業団地だとしたら、田部家がある旧吉田村の中心部は、日本有数の財閥の本社機能が集積する企業城下町だった。田部家の広大な敷地や白壁の土蔵群、レトロな石畳の町並みは、往時の繁栄を思わせる。正月には今でも、田部家に挨拶に訪れる黒塗りの高級車が次々に横づけする。
 だが2009年夏、私が初めて訪ねた旧吉田村の中心部には人影はなく、蝉時雨が降り注いでいた。
 「たたら製鉄」の歴史を展示する「鉄の歴史博物館」の向かいにある菓子店「亀栄堂」は、2016年に創業100年を迎える老舗だ。のれんをくぐると、3代目店主の吉原一文さん(58)が「旧吉田村の約20店のうち、後継者がいるのは半分もない。10年も経てばどうなるか…」と、ため息をついた。
 森林組合も農協も合併で本店がなくなって支店や事業所になり、2004年11月には6町村合併で「吉田村」もなくなった。臨時職員を含めれば約70人が勤めていた役場は、19人の「総合センター」になり、職員の飲み会も物品購入も激減した。「合併してええことなかった」。そんな声をあちこちで聞くという。
 吉田村商工会も雲南市商工会の「支所」になった。合併前は100人を超える会員がいたが、「名前も変わったし、おつきあいもこのへんで」と高齢の会員が次々に辞めて、約60人になった。