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あなたの言いたいこと

Vol.211/2015/08

「7月号のToshiさんのお友だちの話を読んで」

 先月号の「友人の話」についてです。Toshiさんのお友だちは、「ホームレスだったのに食べ物を他のホームレスと分け合った」と言っていましたが、本当にホームレスだったのか、という疑問が浮かびました。

 食べるものがなく、生きるのも精一杯の人間が、他人のことを考えられるのでしょうか。生死を彷徨うほどの極限までは達していなかったんでしょうね。もし、達していたら、人に食べ物を分け与える余裕は生まれないと思います。

 人間の生死って、もっと窮極だと思います。言い換えれば、日本はまだまだ余裕があるんだなと思いました。人の物を奪い取ってまでして、生命を維持する。追い込まれれば、そこまでいくと自分は思います。所詮、人間は動物なので…。

 ボートピープルでオーストラリアへ来た、ベトナム人の友人の話です。

 「家族で何日も、何日も漁船に揺られながらオーストラリアに来た。30年以上も前のこと。船の中は劣悪な環境で、衛生面も最悪だった。板が剥き出しの船内で、隣で寝ていた人がいつの間にかいなくなっていた。そんなこと、何回もあった。それだけは、子ども心にはっきりと覚えている。そんな中、父と母は必至に自分と妹に食べ物を与えながら“生きる”ことを説いた。母から聞いた話だが、限られた食料を奪い合う喧嘩が船内では絶え間なかったと。みんな“生きる”ために精神的にも極限まで達していた、とも。自分と妹の手を引き、最後は虫の息でオーストラリアの地に足を踏み入れた父と母は、“最後の最後は、コップ一杯の雨水で生き延びられた”と言っていた」

<投稿者>Nick 39歳 男性




「娘へ」

 娘のいるパースに10月に行きます。今回で6回目となります。

 娘は、地元のオーストラリア人と結婚しました。そして、2人の子どもを授かり、離婚し、今はシングルマザーで子育てに奮闘しています。そんな娘を心から"誇り"に思います。当初は言葉も満足に理解できなかったのに、異国にて結婚し、その後子どもまで育てて。そんな姿を見ていると、我が子ではないようにさえ思えてなりません。私や妻には、そのような勇気や度胸なんてこれっぽっちも持ち合わせておりませんし、どこからそのような遺伝子が引き継がれたのか不思議でなりません。

 娘からパースの情報として、このパースエクスプレスが時々送られてきます。そして、「元気でやっています!子どもたちも"じーじ、ばーば、また会おうね"と言っています」といったようなメモ紙が添えられています。仰々しい手紙だと"何かあったのか?"と思われかねないので、あえて、メモ紙に走り書きといった感じです。その娘の気遣いにも"感謝"しております。

 金銭的にも楽なはずはありません。しかし、一度たりとも金策の相談をしてきたことはなく、むしろ、父の日や母の日には、贈り物さえしてくれます。オーストラリアで育つ孫たち、そして娘も同じようにオーストラリアに育てられているんだと心から感じております。

 "誇り"と"感謝"を胸に秘め、また娘や孫たちに会いに行きます。

<投稿者>じーじ、ばーば 65歳 男性