ちょっと今回は我が家の子供以外の話をさせてもらう。 先日ある友人(女性)と電話で話をした。彼女は、カミさんが俺様と会う以前に学生を終え、すぐ日本に行った時、旦那共々知り合って以来の友人で、俺様とも10年来の知り合いになる。しばらく音信が途絶えていたが、夫婦でパースに引っ越して来てから、再び交流が始まった。

 彼女達にはニ人の幼い娘がいる。ニ人とも天使のようにかわいく、両親に似て幼い年の割にはすばらしく聡明な子供達だ。そして、彼女は昨年再び妊娠した。しかし、妊娠の知らせを聞いてからしばらくの間、お互いに忙しくなり連絡を取り合わなかった。 そしてある日、彼女からカミさんに電話があった。検査の結果でおなかの中の胎児に染色体異常が見つかったという。流産か、死産の確率が非常に高く、多分生まれても間違いなくなんらかの障害があるだろうということだった。
 「それでどうしたと思う?」
 電話を置いたカミさんは目に涙を溜めながら俺に言った。 二人は悩んだ末、生むことを決心したのだった。どんなに障害のある子供でも自分達の子供には違いない。生活も大変になるだろうが、それでも一緒に生きて行きたい。そう決めたそうだ。そして二人の娘に、これから生まれて来る赤ちゃんのこと、どれだけ家族が協力していかなければいけないかということを説明した。 聡明な二人の娘たちは生まれてくる自分達の肉親が特別な、少しだけ他の赤ちゃんと違った、特別な存在だと言うことを知った。お姉ちゃんも妹も、二人が将来その子の為に力になってあげなければならないことを理解した。そして、その特別な赤ちゃんに会う日を楽しみに待ち焦がれた。

 いよいよ出産日を迎え、赤ちゃんは無事に出産された。小さな小さな男の子だった。小さくても家族の愛と大勢の友人の祝福の中で、この世に大きな生を受けたのだった。友人は母親として、母親は子供が無事に生まれてきたことに感謝をし、旦那はあまりの嬉しさに涙を流しながら数え切れないくらいカメラのシャッターを押した。二人の娘たちも興奮と喜びに飛び回った。
 そして次の日、この小さな男の子は多くの愛と祝福に包まれながら、天に召されていった。

 葬式にはどうしても都合がつかなかったのもあるし、大げさにしたくなかったこともあって、カミさんだけ出席した。カミさんと相談した結果、二人へのプレゼントに赤ちゃんの写真を入れる小さな銀色の写真立てを贈った。おかしな話かもしれないが、子供を亡くした悲しみよりは、子供が生まれてきた喜びを祝ってあげたかったからだった。

 「お葬式は出席できなくて申し訳なかったね。もう大丈夫?」 「いえ、プレゼントありがとう。ゆっくりとだけどね、もうだいぶ落ち着いたわ。子供達はすごくがっかりしてたけど。でも、今でも家族の一員だって言ってるわ。」
 「旦那は?」
 「次の週から仕事に行かなきゃいけなかったから、ちょっと辛かったかもね。私はそのまま妊娠休暇を継続したから来月から仕事に戻ろうと思って。」
 俺様は彼女に言った。
 「赤ちゃんが死産の危機を乗り越えて生まれてきたのは、二人が一緒に人生を送ろうと決心してくれたことへのお礼だよ。きっと、ちゃんと家族の顔を見てサンキュー、アイ・ラブ・ユーって言いたかったかったんだと思う。」
 「そうね。たった一日だけど、私たちも赤ちゃんに会えて本当によかったわ。」

 子供の為を思えば生むべきではなかったという人もいるかもしれないし、重い障害を抱えた子供を持って、もっと大変な思いをしている両親もいるんだと言う人もいるかもしれない。
 しかし、ともかく現実と向かい合った彼女達の勇気を俺様は尊敬する。モラルだとか人権だとか、強くなろうとか我慢しようだとか、そんなことよりも事実を受け入れて自分達の人生の一部としようとした決心を、俺様は子供を持つ同じ親として尊敬する。
 「また、遊びに来てよ。」
 「うん、それじゃまたね。」
 俺様は静かに電話を切って、足元にじゃれ付きながら小さな手をいっぱいに伸ばして俺様を見上げる恵蘭を抱き上げると、意味も無く、ぎゅっと抱き締めた。







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