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Barefoot in the Creek

 

第7章 心と魂を育む



 隔離された地域では、教育は常に頭痛の種である。開拓地に最初に到着した時、そこに学校がないことが両親にはとても気がかりなことであった。その地域には2年間も学校がなかった。教育省の方針で少なくとも平均12人の生徒が3ヶ月以上出席することが確実である場合にのみ学校が建てられ、教師が派遣された。開拓地に住む家族には何人かの子供がいたが、妹のメアリーのように学齢に達していなかったり、他の子供達は14歳以上で、当時はこの年齢でたいてい学校を卒業していた。子供達は14歳になるとすぐに家の仕事を手伝うようになり、高等学校やそれ以上の教育に進むものはほとんどいなかった。

最初、私たちは通信教育をやっていたが、母には他にたくさんの用事があったので、十分に勉強を見てもらえなかった。その後、ボノラの材木工場がこの地域に移って来た時、学齢に達する子供たちのいる家族もやって来て、教育省の基準に達したため、学校が建つことになった。