[第14節] 電撃移籍
それから、6年の歳月が流れた。大木氏と電話で話すきっかけも偶然が重なった。自分の中学時代の恩師が大木氏と話をする機会があり、その恩師を介して大木氏に電話をかけている。電話で話された内容は、『石田には興味はある。しかし今シーズン(2006年3月〜2007年1月)は無理だろう。』ということだった。しかし、石田にとってJリーグ復活への兆しを、闇に包まれた視界の中で、遠くから差し込む一点の光のように見出した。 2月5日にシーズンを終えた石田は、オフシーズンをマレーシアへのレンタル移籍に加え、日本のクラブチームでの練習参加も申し入れている。マレーシアへのレンタル移籍は当初、5月9日をもって終了し、その後約2週間、日本での練習に参加する予定だった。練習先はもちろん、1月に電話で話した大木氏のところだった。しかし、マレーシアでのレンタル移籍が5月22日までと変更され、日本での練習参加を6月1日からの2週間にできないかと申請した。しかし、オーナーのニック・タナ氏がクラブの経営権を放棄し、5月1日からクラブの運営を代行していたオーストラリア・サッカー協会から『来期に向けて6月1日から正式に練習を始める』といった要請が入り、パース・グローリーと契約を交わしている石田にとってクラブが最優先されることから、ヴァンフォーレ甲府での練習参加を諦めなければならなくなった。これにより石田へのJリーグ復活の活路が、一旦は閉ざされたことになった。 |
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