ドロップアウトの達人 Vol. 57
 

 シドニーでは、創立100年以上のハイスクールが集まって、年に1回、ブルーマウンテンの麓でレガッタのレースが行われる。その催し物を「The Head of The River」 と呼ぶ。僕の中でレガッタは、波の無い水面の決められた距離を、直線に漕いで勝負を決めるものと思っていたが、先週、別の場所で見た息子のレースで、コースの途中にブイがあり、そこを迂回することになっていることを知った。しかも迂回した後は、水路がぐんと狭くなっていて、ゴールでは4艇が横に並ぶのが精一杯の幅になってしまう。
  スタート直後の開かれた直線での各艇における先陣争いに始まり、トップスピード(自転車で併走してみるとわかるのですが、その辺の買い物用自転車だと追いつくのがやっとなほど速いのです)での互いのオールをぶつけ合うようにして飛び込んで来るブイのコーナー、そして容赦なく狭くなっていくゴールまでの直線路。直進のみを考えた長身のレガッタ艇をブイ通過後に巧みに左にカーブさせ、また1400mという短距離のため差がつきにくい中で、ゴール前の狭い水路にとにかく4艇だけをねじ込まねばならないサバイバルレースは、集まった数千人の観衆を魅了するのに十分エキサイティングなものだった。

 そこで、「The Head of The River」 の当日。会場のオリンピックスタジアムに到着してみると、対岸のメインスタンドに陣取る強豪校同士で、すでに応援合戦が始まっている。こちら岸の観客席には僕を含めた一般の人達が陣取っている。たぶん、全部で1万人は優に超えている。レース前から盛り上がるここの雰囲気に飲み込まれているうちに、ふと思い当たった。そうだ、この雰囲気はあの甲子園の高校野球そのものではないか。
 そうこうしているうちに10時のスタートで最初のレースが始まった。レースは地元のラジオ局が中継していて、刻一刻と展開するレースの模様が20mおきに設置された音質の良いスピーカーから流れてくるようになっている。実況中継のアナウンサーと元オリンピックの金メダリストのコメンテイターの声が、会場の雰囲気をいやがうえにも盛り上げていく。そのうち2000mの直線路を朝もやを突いて最初のエイトが姿を現してきた。そして、ゴール直前の僕の目の前をあっと言う間に通り過ぎていった。各艇、そのままゴールラインを通過。勝った学校、3位までの表彰台にとどいた学校の生徒達から大歓声が上がる。惜しくも4着で表彰台を逃した赤いユニフォームのクルーの1人が、上半身を折り曲げて水面に嘔吐している。大丈夫なのだろうか。案じているうちに、スピーカーからは第2レーススタートの模様が流れ始める。

 「Shore 2cm back! Sydney Grammer 5cm forward! Sydney High 5cm back!」
  どうやらスタート位置を一直線上にきっちり合わせるために、センチメートル単位のアジャストが行われているらしい。あんなに長いボートに2cmとは恐れ入る。コースマーシャルの声にかぶさるように、1コース×○×ハイスクール、2コース□△□ハイスクール、と学校名が淡々と読み上げられていく。実況放送はひかえられ、ゴール付近の観衆は必然的に静まり返えり、彼方のスタート地点の模様に聞き入ることになる。ついさっきまでの地鳴りのようなゴール前の喧騒が、嘘のような静寂だ。やがて「Caution」のアナウンスの声に続いて、スタートのブザーが朝もやの水面に鳴り響く。そしてまた、歯切れのいい実況中継が始まる。
 第4レースでハイスクールレコードが更新される。第7レースでは1位と2位がわずか4cm差の写真判定で決まる。その都度、勝者は雄たけびを上げ、歓喜に沸き、抱擁し合い、敗者は嘔吐し、沈黙し、涙にくれる。

 第8レース。この1年の最後を締めくくるレースだ。スタンドの盛り上がり方もピークに達している。実は、このレースのエイトに長男が乗り込んでいる。長男のハイスクールは公立の進学校のため、ここまでの7レース全てに、ぼろ負けを喫している。スタートは11時35分。500m地点、強豪校の名が1位から5位まで連呼される。息子の学校の名前は無い。1000m地点、息子の学校名初めてアナウンスされる。まわりの応援団が総立ちになるも、トップから30m遅れているとのこと。順位は7艇中6位。
 「よーし、ひとつ上がった。」の声に、爆笑のうず。
 1500m地点、肉眼ではっきり確認出来るところまで来ている。順位はそのまま。各艇、非常にきれいにストロークされている。そしてついにゴール前100m、1位のボート通過後、30mほどの遅れで2位以下が現れる。息子の艇は、5位に上がっている。しかも4位とは50cmくらい。3位とは1mくらい。2位とは2mくらいのダンゴレースになっている。周りの父兄、生徒達の全員が狂ったように息子の学校名を叫びあげている。そのまま、大歓声に後押しされて、なだれを打つように4艇がゴールラインを通過。そして、「最終レース、1着はShore、2着から5着までの着順は写真判定となります」のアナウンス。その放送にスタジアム全体から地鳴りのような歓声が沸きあがる。周りの女の子達が手をつないで息子のハイスクールの名前を連呼している。 待つこと2分。オリンピックスタジアムの電光掲示板に2着、3着、4着、5着と順位が表示される。残念、5着だった。4位との差、0.2秒、3位、表彰台との差、0.46秒だった。ゴール付近に敗者の艇が漂っている。覗き込む双眼鏡の向こうで、激しく嘔吐している息子達の姿が、見える。

 6min 52sec 32 - Sydney Boys High School - 5th

 11時35分に始まった彼らの1年が、11時41分52秒32、 地鳴りのような歓声の中で幕を閉じた。その中で静かに波紋を広げる水面に、彼らはゆったりと漂って見えた。

回答ZORRO

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