場所は、富士山の裾野あたりだろうか、黒澤作品に出てくる三船敏郎演じる浪人が、鬢をなびかせながら立ち去っていくようなすすき野原が広がっている。深い霧のために、目の前の黒々とした土の道が見えるばかりで、何か膜の中に閉じ込められたような息苦しさがあたりを支配している。
やがて霧の向こうから忽然と建物が現れる。古い平屋の木造家屋で、大きさからいって、ホテルなのかもしれない。自分の意志とは関係なく、そのホテルに入って行く。
どうやら夢の中の自分は勝手を知っているらしく、赤いじゅうたんのロビーを抜けて、ピカピカに磨き上げられた樫の木の手すりにそって渡り廊下を左に折れて、目の前に現れた部屋のドアを開けると、そこにイアン・ソープが立っている。
あっ、イアン・ソープだ!と驚いているこちら側の僕をよそに、もう1人の、その夢の中の自分は、当たり前のように彼に向かって「無かったよ」と話しかけている。すると例の笑顔を浮かべて、ソープが答える。
「なんとかならない?僕、日本語まるっきりだめなんだよ。なんとか手に入れて来て欲しいな。」
「霧がひどくてさ。自分の靴の先が見えないくらいなんだから。」
夢の中の自分はそう言い訳をしている。ソープは白いバスローブのポケットに両手を突っ込んだまま「なんとかならないかな」ともう一度つぶやく。
夢を見ている僕には、この2人の会話が何について話しているのか、さっぱりわからない。一体、ソープは何が欲しいのだろう?そう思って考え始めた瞬間、夢の中の自分がソープにその通りの質問をぶつける。
「何が欲しいんだったっけ?何を探しに行ってたんだっけ?」
「やだな。タバコだよ。タバコだってば。アメリカンジゴロか、マウスピースって言ったじゃない?」
ソープは少し驚いたように首をすくめて見せる。「ええっ、イアン・ソープがタバコ吸うの?」思わず、夢をみている方の僕が驚くと、それがそのまま夢に出ている自分の口から言葉になってしまう。まずいことを口走ったかなと慌てていると、イアン・ソープはその質問に別に驚くことも無く、「だって、僕だって人並みに遊びたいもん。人並みにタバコもふかしてみたいし、女の子と踊りに行ったりもしたいもん。」
と、くつろいだ表情を見せている。その表情がとても自然で、人懐っこいこともあって、もう僕は何の疑問もなく、早くそのタバコを探してあげなくてはと思ってしまう。
「アメリカンジゴロかマウスピースだよね。」
僕は言い終わると急いで部屋を出る。部屋の入り口で振り返ると、イアン・ソープが例の微笑を浮かべてこちらを見つめている。
霧の中、すすき野原の向こうに1件のよろずやが建っている。昭和30年代頃まではよく見かけた、土間の上にものを並べている戦前のスタイルの店だ。開け放たれた敷居の向こうに人の良さそうな老婆が1人、店番をしている。
「なんだね?」老婆にそう尋ねられ、「タバコありますか?」と返事をした瞬間、その老婆が随分前に無くなった祖母であることに気づく。息を呑むほどの驚きの中で、必然、ソープに約束したタバコの名を忘れてしまう。仕方がないので祖母の手を借りて、棚のタバコをひとつひとつ手にとって調べることにする。一体どれくらいの間、そうしていたのだろう。僕はひっきりなしに祖母に冗談を言い、祖母はその都度、目を細めて夢の中の僕を見つめ返していた。
夢はここで終わっている。
夢って不思議だと思う。一体、何が伝えたくてこんな世界を僕に見せてくれるのだろう。 新年早々、相変わらず分からないことばかりである。
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