|
其の25 言葉の問題デス。 最近は同じくらいの子供を持つ日本人のお父さん、お母さん達と話す機会もますます多くなった訳なんだが、やっぱり言葉の問題、「バイリンガル教育どーしてますか」っていう話題は多いよね。参考までに、ちょっと上の年代の子供を持つ親たちの話も色々と聞いたりするんだけど、例えば両親が日本人でも家庭内では英語で会話する家もあれば、日本語で会話する家もあるし、片親が日本人でも日本語が中心なのか英語が中心なのかは家族によって違う。だから一概には言えないんだな。それに、別にどれが良い悪いって話でもないしね。 しかし、ここで一つだけ気をつけなければいけないことがある。それは何かというと、「どの言語を中心にするか」ということなのだ。いや、家庭によって教育方針とか環境が違うし、バイリンガル教育にも色々なやり方があるけれども、とにかくどの言語で高等教育を受けさせるのかというのは今からある程度は決めておいた方がいいんじゃないかと思うんだな。これはなぜかというと、親が下手に外国語教育に力を入れた結果「日本語も英語もまともに使えません、両方しゃべれるけど書けません」という事態が発生するケースが意外と多いのだ。いや、小学生くらいだったらまだ全然いいけど、これが十代後半まで続くと実に深刻な問題になってしまうのは想像がつくだろう。せめて高等教育を受けることが出来る言語が一つは欲しい。 子供の環境から考えてみると0歳−4歳までの場合はほとんどの時間を母親と過ごすので、当然母親とのコミュニケーションに使う言語が中心となるよな。しかし、ここパースに住む限りほとんどのデイ・ケアなどの保育施設では英語だし、一歩外に出ればどんなに家で日本語を話していても日常生活の中ではやっぱり英語を聞く機会は多い。だからその辺でどうバランスをとるかがバイリンガル教育のキーになるんじゃないかな。 さて、それじゃここで父親の役割についてちょこっと個人的な意見を述べさせてもらう。あ、先に断っておくけどね、これはあくまでも個人的な意見なので鵜呑みにはしないようにしてほしい。で、結論から言わせて貰えれば父親は自分の一番得意な言葉をしゃべればいいのだ。というと「じゃあ外国語教育も全部母親の責任なワケ?!ああん?」と突っ込まれそうだが、はっきり言おう。その通りです。 で、じゃあオーストラリア人の父親だったらどうするかというと、これも同じでいいんじゃないか?もちろん日本語ペラペラで家庭内でもまったく問題なく日本語で家族の会話が出来る人は日本語で話すのが一番いいけど、圧倒的に英語が得意な人はしょうがないもんな。ただし、その分父親はちゃんと子供にお母さんが外国語を話すことの大切さをちゃんとアピールしなければならないという義務があるのだ。父親に限らず家族のメンバーが「日本語?あんなワケの分からん言葉は俺にはよく分かんねえなぁ」じゃあ子供は将来も絶対に日本語を話そうとは思わない。「学校では絶対英語。他の人がいる時も英語。でもお母さんとは絶対日本語」という習慣を子供の時から身につけておけば、日本語が多少不得意でも(当たり前だ。ボキャブラリーの数や表現力は圧倒的に違ってくるんだからな)、少なくとも日本語を話すことに引け目を感じることはないだろう。 そうそう、実際に自分がそういう環境で育った知り合いから「家庭内では一つのセンテンスの中に日本語と英語を混ぜないほうがいい」というアドバイスを貰った。そうじゃないと、子供はまともなセンテンスの会話を知らないから、いつまでたっても子供の話す言葉はまともにならないそうだ。「ミーはてんぷらはノーグッドね」って、こんなインチキな英語も俺様は個人的にはかなり好きなんだけどね(笑)。でも、これじゃ一般市民の会話にはちょっとまずいよね。一昔前の喜劇映画に出てくるイヤミなインテリ副社長じゃないんだから。 ま、実際に親が日本語で質問して子供が英語で答えを返すというコミュニケーションのスタイルで良い親子関係を保っている家庭もけっこう多いことだし。日本語の専門家になるレベルを目指す場合は別として、将来オージーとしてずっとオーストラリアに住むなら普段はこんな感じで、あとは子供がちゃんと日本語を勉強して使う機会が沢山あれば十分なんじゃないでしょうか?ただし、その子が日本人として日本に住む場合、両親が日本人なら当然完璧な日本語を話すことが要求されるのは当たり前だからな。皆さんも諦めないでがんばってくれたまえ。それでは。 |
|
This
site is developed and maintained by The Perth Express. A.C.N. 058 608 281 Copyright (c) The Perth Express. All Reserved. |