Part 56

 まず先月は、編集長から再三の催促を受けながらも、原稿が間に合わなくて、スイマセンでした。
 さて、今回はニューヨークのお話。アメリカは映画の世界と違って、嫌なリアリティーがあった。ロケの方は、ヨットで単独世界一周する日本人、白石康次郎さんが8ヶ月間のレースに出発する直前の3日間を取材した。食料の計算をして船に積んだり、掃除や片付けをしたり、僕らが出発の準備を手伝った。そして、最後にプレレースに参加させてもらった。プレレースとは、本レースの前夜祭的存在で、船の最終チェックをする機会でもあるそうだ。しかし、そもそも白石さんは日本からヨットに乗って来たので、スタート地点に立った時点でもう世界を半周してることになる。プレレースは、アメリカズ・カップの本基地であるニューポート(1980年前半にオーストラリアがチャンピオンカップを奪うまで、その町に150年間置かれていた、ヨット界の由緒正しい場所。ちなみに1986、7年にパースでアメリカズ・カップが開かれている)から400キロ離れたニューヨークまでの距離を移動した。出発する前は8時間ぐらいで行けるのではと言われたのに、そううまくは行かなかった。途中で風の向きが変わってしまい、水が漏れ出し、ナビが壊れ、カメラマンの船酔で撮影が出来ず、その他もろもろの問題があって、32時間後にニューヨークに着いた。
  出発前日は、プレレースで発覚した問題を直すのに必死で、結局殆ど本人と話す暇もなく、旅立ってしまった。レースが始まれば8ヶ月間、ずっと一人で、寝る間もないそうだ。レース中に自殺する参加者も少なくないらしい。ちなみに船を作ったり、準備費用などで、総額約2億円もかかったそうだ。しかし、優勝すればお金になるかと思ったら、ゼロ!! 何で?と思うばかりで、本人いわく『生まれ変わったら、そりゃもう違う夢を見たい。でもこれが僕の夢』だと言っていた。すごく面白い方で、そない男気バリバリではないけども、端から見れば何を考えてるか分からんけども、応援したくなるような方ですわ。
  白石さん出発後、最後の夜、僕らとスタッフ5人でニューヨークの夜を楽しもうと2台のタクシーに乗って、ご飯食べに行った。そこで…。後ろのタクシーに「ついてきて」って言ったが、途中で2台目が消えた。英語が喋れない、所持金ゼロのカメラマンと音声さんが行方不明になってしまった。次の朝、ものすごく疲れた顔でホテルに戻って来た2人やけど、僕らは完全にその2人の命はないと思った。怖い街やった。
  行く時はテロに使われたユナイテッド航空の飛行機に乗って、9月11日の朝、ちょうどテロ一周年目の日にニューヨークに着いた。飛行機は300人乗りやのに、30人しかおらへんくて、ガラガラやった。スチュワーデスはものすごく愛想が悪くて、サービスも全然なってなかった。「そりゃこの日は働きたくないんやろな」と思ったけど、帰りの飛行機は全くいっしょやった。フゥ〜。
  これは白石さんのHPです⇒http://www.spofan.com/kojiro/ko_top.html
皆さんからのメールを見て頑張れることがあるみたいなので、宜しくお願いします。



現在、師匠ぼんちおさむ氏のもとで漫才の修行に励む、若手芸人チャド・マーレン。パースエクスプレスが輩出したオーストラリア・パースの期待の星。

ジパング上陸作戦の加藤とチャド。

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